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ジョー・モーガン(Joseph Leonard Morgan , 1943年9月19日 - )は、アメリカ・メジャーリーグで活躍した元野球選手(内野手)。右投左打。アメリカ合衆国テキサス州出身。 Big Red Machine(ビッグレッドマシン)と呼ばれたシンシナティ・レッズの名二塁手で、アメリカ野球殿堂入りしている。現在にはESPNとESPN Radioの解説者を務めている。 == 人物・来歴 == まだドラフト制度のないにヒューストン・コルト45's(1965年よりヒューストン・アストロズと改称)と契約。9月21日にメジャーデビューを果たす。 当初はスイングに欠点があったが、チームメイトの先輩で殿堂入りの名二塁手ネリー・フォックスのアドバイスを受けてフォームを改造。球団名が現在と同じ「アストロズ」となり、世界初のドーム球場・アストロドームに本拠地を移転したにはレギュラーに定着。故障のため10試合の出場に終わったを除いて二塁手として活躍。 、シンシナティ・レッズに移籍。当時レッズは名監督スパーキー・アンダーソンの下、ピート・ローズ、ジョニー・ベンチ、トニー・ペレス、デーブ・コンセプシオンといった生え抜きの選手や、トレードで獲得した若手ジョージ・フォスターらがリーグを代表するスター選手に成長し、「Big Red Machine」と呼ばれ、敵チームから恐れられる存在であった。移籍初年度の1972年にはオールスターでMVPを獲得。にはリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズ進出。このシリーズでは第3戦でサヨナラヒット、第7戦では同点の9回に決勝のタイムリーヒットを打ち、チームをワールドチャンピオンに導いた。この年は打率.327、17本塁打、94打点、67盗塁の活躍でナ・リーグMVPに選ばれた。翌もチームは2年連続でワールドシリーズを制し、自身も打率.320、27本塁打、111打点、60盗塁の活躍で2年連続MVPに選ばれた。守備力にも優れ、からにかけて、5年連続でゴールドグラブ賞を受賞している。選球眼も非常に良く、全盛期にはほぼ毎年100以上の四球を選び、通算1865四死球に対して三振は1015であった。本塁打は最多でも27()で、通算268あったが、二塁打(通算449)、三塁打(通算96)が多く、通算打率.271に比して出塁率は.392、長打率は.427もあった。 にはレッズが単独チームとして来日するが、モーガンは来日しなかった。この来日では各地で強さを見せつけたレッズだったが、帰国後、アンダーソン監督が突如解任され、「ビッグレッドマシン」の崩壊が始まった。には地区優勝を果たすものも、その後、ローズをはじめ多くの主力選手が移籍し、モーガンもこの年限りでチームを離れ、にアストロズに復帰する。この年アストロズは地区優勝を果たすが、プレイオフでローズの居るフィラデルフィア・フィリーズに敗れ、ワールドシリーズ進出を逃す。翌、サンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。、フィリーズに移籍。ここでかつてのチームメイトであるローズ、ペレスとともにリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズ出場を果たすが、ボルチモア・オリオールズに敗れる。翌はオークランド・アスレチックスでプレーし、この年限りで現役を引退した。 多くの専門家が、メジャー史上最高の二塁手にモーガンの名を挙げる。引退後は解説者を務める。資格初年度のに81.8%の得票でアメリカ野球殿堂入りを果たした。レッズ時代の背番号「8」は、レッズの永久欠番となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョー・モーガン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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