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ジルベール・ド・ゴールドシュミット : ウィキペディア日本語版
ジルベール・ド・ゴールドシュミット

ジルベール・ド・ゴールドシュミットGilbert de Goldschmidt1925年4月26日 ベルリン - )は、フランス映画プロデューサーである。
== 来歴・人物 ==
1925年4月26日ヴァイマル共和政時代のドイツベルリンに生まれ、幼少期をフランス・パリで過ごし、1940年、最後の脱出船のひとつ「クァンザ」号でヨーロッパを去る。かなり若くして米軍に入隊、1944年、軍とともにフランスの地に再び降り立つ。マーシャル・プランのために映画を製作することで、映画界での仕事が始まった。製作管理の業務を経験したのち、1951年、アメリカ人のパートナーたちとともに、映画製作会社「マドレーヌ・フィルム」を設立する。
ゴールドシュミットは、40本あまりの映画を単独製作あるいは共同製作した。ジャン=ガブリエル・アルビコッコ(『金色の眼の女』、そして『さすらいの青春』)や、撮影監督ラウール・クタール(『''Hoa Binh''』)といった映画監督の第一作のプロジェクトを始めた。
だれもが長い間憶えているジャック・ドゥミ監督の映画、『シェルブールの雨傘』と『ロシュフォールの恋人たち』は、ゴールドシュミットがマグ・ボダールと共同製作したものである。
プロデューサーであり映画監督である友人のイヴ・ロベールとの共同製作(『ぐうたらバンザイ! ''Alexandre le Bienheureux''』、『''Le Distrait''』、『アルフレッドの災難 ''Les Malheurs d'Alfred''』、『''Le grand blond avec une chaussure noire''』)は、ピエール・リシャールフランシス・ヴェベールといった監督を世に送り出した。
監督たちに誠実に、ミシェル・ラング監督(『''Le Cadeau''』など)とパトリック・シュルマン監督(『''P.R.O.F.S.''』など)のいくつかのコメディ映画を製作し、テレビでよりも映画館のホールに市民の承認を取り戻した。
また、友人のイヴ・ロベールとともに、『ジャバーウォッキー』『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』、『ライフ・オブ・ブライアン』、『バンデットQ』といった『モンティ・パイソン』の映画をフランス語圏に紹介したのもゴールドシュミットである。
映画業界の人々に感謝され、リスペクトされ、1983年には第36回カンヌ国際映画祭の、1988年にはヴェネツィア国際映画祭のそれぞれ審査員になり、海外へのフランス映画のプロモーションのための機構ユニフランスの代表を歴任した(1971年 - 1973年1986年 - 1988年)。
レジオンドヌール勲章芸術文化勲章(l'Ordre National du Mérite)、国家功労章(l'Ordre des Arts et des Lettres)のそれぞれオフィシエ章を受章。
ジルベール・ド・ゴールドシュミット=ロートシルトは、フランス系イギリス人実業家ジェームズ・ゴールドスミスの従兄(祖父どうしが兄弟)であり、銀行家のエドモン・ド・ロートシルトEdmond de Rothschild)の従兄(祖母どうしが兄弟)である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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