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ジンバブエ・ローデシア()はローデシアが名称を変更した国名。ジンバブエ・ローデシアは、スミス政権と穏健派アフリカ人解放組織との間で行われた「内部解決」によって誕生した。 1978年3月3日に、暫定政府の構成と新憲法に関する協定である「ソールズベリー協定」が調印された。このソールズベリー協定に基づいたジンバブエ・ローデシア憲法が1979年1月2日に発表され、1月31日、大多数が白人選挙人が占める国民投票によって承認された。新憲法に基づき、1979年4月17日から5日間、ローデシア初の一人一票制にもとづく総選挙(投票率64.5%)が実施され、その結果、アベル・ムゾレワ率いるUANCが得票率67%、51議席を獲得して第一党となり、1979年6月1日、「ジンバブエ・ローデシア」という新たな国名のもとに、アベル・ムゾレワを首班とする初の黒人政権が誕生したのだった。 == 関連項目 == * ローデシア * ローデシア問題 * ローデシア紛争 * ローデシア・ニヤサランド連邦 * 南ローデシア * 北ローデシア * 英領ニヤサランド * ローデシア軍 * ローデシア空軍 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジンバブエ・ローデシア」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Zimbabwe-Rhodesia 」があります。 スポンサード リンク
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