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スコット "ザ・ホッグ" アーウィン(Scott "The Hog" Irwin、1952年5月14日 - 1987年9月5日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミネソタ州ダルース出身(フロリダ州セントピーターズバーグ出身ともされる〔『THE WRESTLER BEST 1000』P273(1996年、日本スポーツ出版社)〕)。 ランバージャック、ヴァイキング、マスクマン、モーターサイクル・ギャングなど様々なギミックを使い分け、ナチュラルな巨体を持つ大型ヒールとして活躍した。実弟のワイルド・ビル・アーウィンもプロレスラーである。 == 来歴 == 1975年にAWAのバーン・ガニアのトレーニング・キャンプに参加し、1976年3月にデビュー。AWA、サンフランシスコ、ジョージア、ミッドアトランティックを経て、1978年にニューヨークのWWWFに登場、ケベック州出身のカナダ人ピエール・ラフルールのパートナーとなり、ランバージャック・ギミックのタッグチーム "ユーコン・ランバージャックス" のエリック(''"Yukon Lumberjack" Eric'')を名乗る。同年6月26日、ドミニク・デヌーチ&ディノ・ブラボーを破りWWWF世界タッグ王座を獲得した。 1979年には『マイティ・ソー』をモチーフとした新ギミック、ソー・ザ・ヴァイキング(''Thor the Viking'')としてNWAのフロリダ地区に参戦。1月20日にテリー・ファンクから南部ヘビー級王座を、2月17日にはジョー・ルダックと組んでジャック・ブリスコ&ジェリー・ブリスコからUSタッグ王座をそれぞれ奪取している。翌1980年からは覆面レスラーのスーパー・デストロイヤー(''The Super Destroyer'')に変身し、悪党マネージャーのサー・オリバー・フンパーディンク率いるファミリーに加入。バッド・バッド・レロイ・ブラウン、バグジー・マグロー、ニコライ・ボルコフらと共闘し、ダスティ・ローデスをはじめマニー・フェルナンデスやミスター・フロリダなど同地区のベビーフェイス陣営と抗争を展開した。 以降もジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングやビル・ワット主宰のMSWAなど南部エリアでスーパー・デストロイヤーとして活躍。ジョージアではマスクド・スーパースターとの大型覆面コンビで猛威を振るい、1982年1月22日にボブ・アームストロング&ブラッド・アームストロングからNWAナショナル・タッグ王座を奪取した。また、WWWF時代から因縁のあるアンドレ・ザ・ジャイアントとのスーパーヘビー級対決も南部各地で繰り広げている。 1983年末よりフリッツ・フォン・エリックが主宰するテキサス州ダラスのWCCWで弟のビル・アーウィンと合体。ビルをスーパー・デストロイヤー2号に変身させ、覆面兄弟チームのスーパー・デストロイヤーズを組んでアイスマン・キング・パーソンズ&バック・ズモフの "ロックン・ソウル" と抗争、同団体認定のNWAアメリカン・タッグ王座(後のWCWA世界タッグ王座)を再三に渡って獲得した。 1984年下期からは覆面を脱ぎ、ハーレーダビッドソンにまたがったバイカー系タッグチームのロング・ライダーズ(''The Long Riders'')をビルと共に結成。ジョージア地区を経て1985年よりAWAに登場し、ロード・ウォリアーズやスコット・ホール&カート・ヘニングと抗争を展開した。1986年にはカナダのモントリオール地区にも遠征し、3月6日にダン・クロファット&ソロファ・ファトゥからカナディアン・インターナショナル・タッグ王座を奪取している。 1987年9月5日、脳腫瘍のため35歳で死去〔。余命いくばくもないと診断された際、最期の別れと感謝のために、かつての仲間やライバル達の家を訪ねて周ったという〔『週刊プロレス』1993年2月16日号カラーグラビア(ベースボール・マガジン社)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スコット・アーウィン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Scott Irwin 」があります。 スポンサード リンク
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