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飢餓作戦[きがさくせん]
飢餓作戦(きがさくせん、Operation Starvation)または餓死作戦〔 〕は、太平洋戦争末期にアメリカ軍が行った日本周辺の機雷封鎖作戦の作戦名である。この作戦はアメリカ海軍が立案し、主にアメリカ陸軍航空軍の航空機によって実行された。日本の内海航路や朝鮮半島航路に壊滅的打撃を与え、戦後も海上自衛隊の戦術思想や日本の海運に影響を残した。 == 背景 ==
1945年(昭和20年)3月下旬、沖縄諸島への連合国軍侵攻が迫り、日本の東南アジア方面との南方航路は閉鎖に追い込まれた。これにより、日本に残されたシーレーンは、大連など華北との航路と、羅津など朝鮮半島に向かう航路のほか、本土内航路のみとなった。これらの残存航路では、本土決戦に向けた部隊・軍需物資の本土集結と、国民生活に必要な食糧や石炭の輸送が行われていた。特に、雑穀や塩、石油代用の穀物油の輸入(日本領、外地からの移入)が重要視されていた〔大井(2002年)、392頁。〕。 連合国側は、日本のシーレーンに対する通商破壊を主に潜水艦と航空機によって行ってきた。特にアメリカ海軍の潜水艦は多大な成果を上げていたが、残された航路が沿岸に限られてくると、潜水艦による攻撃は難しくなってきていた。そこで、チェスター・ニミッツ元帥率いるアメリカ海軍が中心となって日本本土周辺に対する機雷による海上封鎖作戦が立案され、「飢餓作戦」と命名された。アメリカ陸軍航空軍の第20空軍所属のB-29爆撃機が、マリアナ諸島から出撃して敷設任務の主力を担当することになった。これまでもパラオ大空襲などで航空機雷の投下が一定の成果を上げていたが、本作戦は戦史上でも空前の規模の攻勢機雷作戦であった〔光岡(1983年)、311頁。〕。 当時のアメリカ海軍が開発していた機雷は、Mk25機雷など直接に接触しないでもセンサーに反応して起爆する感応機雷であった。起爆方式の違いにより、磁気起爆式のM4やM11、磁気・音響・水圧の各種起爆方式の互換性を持つM9、磁気・水圧併用のA6などに分類され、複数回の反応が無いと起爆しない機構を持つものもあり、これらの各種感応機雷が混合使用されることになった。水深約27 m までの海域には1000ポンド級のMk26機雷・Mk36機雷、それより深い水深約46 m までの海域には2000ポンド級のMk25機雷が使用された〔。対する日本海軍は、二式掃海具や五式掃海具などによって磁気機雷に対しては一応の掃海能力を有しており、音響機雷の一部も発音弾で処理が可能であったが、水圧機雷や低周波音響機雷に対しては有効な掃海手段を持たなかった〔光岡(1983年)、302頁。〕。海底掃海具を引きずって機雷をひっかけて転がし、水圧の変化で偶然に作動することを期待する程度で、これとて海底が平坦な砂地の場合にしか使用できなかった〔光岡(1983年)、312頁。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「飢餓作戦」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Operation Starvation 」があります。
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