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スティーブン・パターソン(Steven William Paterson, 1958年4月8日 -)は、スコットランド・エルギン出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 == 略歴 == ===選手として=== 1975年7月にイングランドの名門マンチェスター・ユナイテッドに入団。センターバックとして4年間でリーグ戦6試合に出場した。その後は香港、オーストラリアのクラブを渡り歩き、1984年に日本の読売クラブ(現在の東京ヴェルディ)へ入団した。 読売では190cmの長身を生かしたヘディングと献身的な守備が持ち味のフォワードとしてプレー、初年度の日本サッカーリーグでは外国人枠の関係で2試合出場に終わったが、同年12月の天皇杯では、中心選手のラモスが出場停止処分を受けていた事もあり、レギュラーの座を確保し天皇杯制覇に貢献。翌1985年は与那城ジョージが帰化した事で常時出場が可能となり、JSLカップでは6得点をあげ得点王となり同タイトルの制覇に貢献した。 しかしリーグ戦では読売は不振に陥り、パターソンを招聘した監督のルディ・グーテンドルフがシーズン途中で退任すると、そのシーズン限りで日本を後にしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スティーブン・パターソン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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