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スティーブ・エイベリー : ウィキペディア日本語版 | スティーブ・エイベリー
スティーブン・トマス・エイベリー(Steven Thomas Avery, 1970年4月14日 - )は、アメリカ合衆国・ミシガン州トレントン出身の元プロ野球選手(投手)。 == 経歴 == 1988年のMLBドラフトでアトランタ・ブレーブスから1巡目(全体3位)に指名を受け入団。シーズン前に発表されたベースボール・アメリカのプロスペクトランキングで1位の評価を受ける。6月13日のシンシナティ・レッズ戦でメジャーデビュー。先発投手としてメジャーに定着し、8月24日のシカゴ・カブス戦でメジャー初完投・初完封を達成するが、3勝11敗・防御率5.64の成績に終わる。はトム・グラビンやジョン・スモルツらと共に「Young Guns」と呼ばれる先発ローテーションを形成。18勝8敗・防御率3.38を記録し、チームの前年地区最下位からの地区優勝に貢献。ピッツバーグ・パイレーツとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2試合に先発し2勝・16.1イニング無失点と好投。チームは4勝3敗でアトランタ移転後初のリーグ優勝を果たし、シリーズMVPに選出された。ミネソタ・ツインズとのワールドシリーズでは第3戦と第6戦に先発するがいずれも勝敗は付かず、チームは3勝4敗で敗退した。サイ・ヤング賞の投票では6位タイに入った。はリーグ最多タイの35試合に先発して11勝11敗・防御率3.20、キャリアハイの233.2イニングを記録し、チームの2年連続地区優勝に貢献。前年に続きパイレーツとの対戦となったリーグチャンピオンシップシリーズでは第2戦で先発し前年から続く無失点記録を22.1イニングまで伸ばしたが、第5戦では1アウトしか取れず4失点でノックアウトされる。最終第7戦では満塁の場面でリリーフしてピンチを凌ぎ、チームは逆転サヨナラ勝利でリーグ優勝を決めた。トロント・ブルージェイズとのワールドシリーズでは第3戦では9回途中3失点で敗戦投手。第6戦では4回2失点で勝敗付かず、チームは2勝4敗で敗退した。 は前半戦で8連勝を記録するなど9勝を挙げ、初のオールスターゲームに選出される。後半戦で防御率2.37と更に調子を上げ、18勝6敗・防御率2.94を記録し、チームは3年連続地区優勝。フィラデルフィア・フィリーズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2試合に先発し、防御率2.77と好投したが勝敗は付かず、チームは2勝4敗で敗退した。はストライキの影響で8勝に留まる。は7勝13敗・防御率4.67と不本意な成績に終わるが、チームは地区優勝。コロラド・ロッキーズとのディビジョンシリーズではリリーフで1試合のみの登板。シンシナティ・レッズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第4戦で6回無失点の好投を見せ、4連勝でリーグ優勝を果たす。クリーブランド・インディアンスとのワールドシリーズでは第4戦で6回1失点と好投し勝利投手。チームは38年ぶり、アトランタ移転後初のワールドチャンピオンに輝いた。は5月までは好調だったがその後調子を落とし、7月に故障で戦線離脱。7勝10敗・防御率4.47に終わる。チームは2年連続のリーグ優勝を果たすが、ポストシーズンでは先発登板はなし。ニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは第4戦でリリーフ登板するが敗戦投手となり、チームは2勝4敗で敗退した。オフにフリーエージェントとなる。 1月22日にボストン・レッドソックスと契約。同年は6勝7敗・防御率6.42、は10勝7敗・防御率5.02と振るわず、オフにフリーエージェントとなり12月21日にシンシナティ・レッズと契約。は96イニングながらキャリアワーストの78四球と制球難に陥り、7月23日の登板を最後に離脱。オフに再びフリーエージェントとなり、2月22日に古巣ブレーブスとマイナー契約。しかし制球難でマイナーでも結果は残せず、5月30日に解雇。1月23日にデトロイト・タイガースと契約。リリーフで19試合に登板して2勝を記録し、引退。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スティーブ・エイベリー」の詳細全文を読む
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