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スティーブ・オベット : ウィキペディア日本語版
スティーブ・オベット


スティーブ・オベット (Stephen Michael James ("Steve") Ovett、1955年10月9日 - )は、イギリスの陸上競技選手。1980年モスクワオリンピック男子800mの金メダリストである。イングランド南部サセックスブライトン出身。
== 経歴 ==
オベットは若い頃からその才能を発揮し、1973年のヨーロッパジュニアの800mで優勝、翌年のシニアのヨーロッパ選手権で2位に入る活躍を見せる。国内では、1974年から1976年の800m、1979年の1500m、1980年の1マイルのチャンピオンである。
1976年モントリオールオリンピックでオリンピック初出場。800mに出場するものの5位に終わっている。
1978年のヨーロッパ選手権では1500mで優勝、800mでは2位という結果を残す。この年、800mで1分44秒09の好タイムを記録、また2マイルでは8分13秒51の世界新記録を樹立するなどすばらしい成績を収めた。この年、もしペースメーカーを使っていたら、彼の出したタイムから、1000m、1500m、1マイル、2000mの世界記録を更新していただろうと推測された。
オベットは、1980年モスクワオリンピックの1500mでは優勝候補の筆頭と見られていた。オリンピックの直前には1マイルで3分48秒8の世界新記録を樹立。その2週間後には1500mでも、セバスチャン・コーの3分32秒1と並ぶ世界タイ記録を出していた。さらに彼は1500mと1マイルの両種目で3年間も負けていなかった。
ところで、モスクワオリンピックは、オベットとコーの2回目の国際大会での対決であった。(最初の対決は1978年のヨーロッパ選手権の800mで、オベットがコーを破っている。)どちらが強いかということが注目された。コーは800mを得意とし、オベットは1500mを得意としていた。
800mの決勝、オベットは本命の1500mのための予行演習のつもりで出場していた。レースは最初の400m、オベットは6位、コーは最下位の8位で通過する。しかしここからオベットは前を走るランナーを捕らえてゆき、2位まで位置を上げてゆく。そして残り70mで先頭のソ連の選手を捕らえ、追ってきたコーを寄せつけず、3m差をつけてゴール。800mを得意としたコーを下し、金メダルを獲得した。
6日後に行われた1500mの決勝、オベットが得意種目であったが、勝ったのは800mを得意としたコーの方であった。オベットは3位となり、コーとオベットはお互い自らの得意種目で破れ、相手の得意種目で金メダルを獲得するという結果となった。
モスクワオリンピックの直後、オベットは1500mで3分31秒36の世界新記録を樹立する。一度は世界記録を破られたものの、1983年にはさらに3分30秒77と再度世界新記録を達成した。
オベットは、1984年ロサンゼルスオリンピックで800mの連覇がかかっていた。しかし、気管支炎を患っておりかろうじて決勝へ進出するも8位という結果に終わった。しかしレースの後、彼は倒れてしまい2晩も病院で過ごすこととなる。しかしオベットは1500mにも出場する。レースは、残り400mまで彼は4位につけていたものの、胸の痛みのため倒れてしまい途中棄権という結果となった。
1986年、彼はエディンバラで開催されたコモンウェルスゲームズの5000mで優勝する。しかし、1988年のソウルオリンピックでは代表になることができなかった。その後、ライバルであったセバスチャン・コーが引退した翌年の1991年に引退した。
*1978年のヨーロッパ選手権後にイギリスのあるスポーツ誌に次のような投書が載った『800mで我がオベットがゴール寸前で東独のO・バイヤーにかわされた時、一緒に見ていた人達から歓声が上がりました我国ではモハメド・アリのようなあり方は認められないのでしょうか。』レースにおける強引かつ精妙な位置取り、強気の発言。優等生のコーと対照的なキャラクターだったオベットはある種敵役でもあった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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