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スティーブ・デイビス(Steve Davis OBE、1957年8月22日 - )は、イギリスのプロビリヤード選手。ロンドン出身。なお戸籍上の名前は「Steven Davis」である〔英語版の記述による〕。 スヌーカー界の伝説的プレーヤーの一人で、世界スヌーカー選手権を6回制覇している一方で、1990年代以降ナインボールの世界でも活躍している。 == 略歴 == === スヌーカー === 12歳でスヌーカーを始め、1976年にイギリスのU-19ビリヤード選手権に勝利。1978年にプロに転向し、翌1979年には早くも世界選手権に出場を果たすが、1回戦でデニス・テイラーに敗北。 翌1980年には、前年の世界チャンピオンであるテリー・グリフィスを破るなどの活躍で準々決勝まで進出したほか、UKチャンピオンシップを制し初のメジャータイトルを獲得。1981年には世界選手権を初制覇し、以後1983年・1984年・1987年・1988年・1989年と世界選手権を6回制覇。プレミアスヌーカーリーグでも1987年~1990年にかけて4連覇を達成するなど、文字通り1980年代のプロスヌーカー界を代表するプレイヤーとなった。 ただ一般には、1985年の世界選手権決勝においてデニス・テイラーと演じた死闘が伝説として語られている。18フレーム先取で争われる決勝において、デイビスとテイラーは抜きつ抜かれつの接戦を演じた結果17-17のタイスコアで最終フレームに突入。ここでテイラーが黒のカラーボールを残し、この黒球をポットした方が優勝という事態になったが、数回セフティの応酬があった後にデイビスがミスショットを犯し、最終的にテイラーが黒球をポットし優勝。この瞬間(午前0時20分)のBBCのテレビ中継の視聴者数は1850万人に及び、イギリスにおける深夜放送視聴者数の記録となっているほか、2002年にイギリスのチャンネル4が行った「スポーツにおける最も偉大な瞬間」投票において第9位に選ばれた。 1990年代以降はジミー・ホワイト、スティーブン・ヘンドリーらの台頭により、デイビスは世界選手権の優勝からは遠ざかっているが、以後もスヌーカー界のトッププレイヤーとして活躍を続けた。2007 - 2008シーズン終了時までスヌーカー世界ランキングのトップ16を維持し続けてきたものの、さすがに年齢による衰えは否めず、2008 - 2009シーズン終了時のランキングでは29位となりトップ16から転落してしまった。 2013 - 2014シーズンを最後にスヌーカーツアーからの引退を表明〔STEVE DAVIS - World Snooker〕。しかし世界プロフェッショナルビリヤード・スヌーカー連盟(WPBSA)では、長年のスヌーカー界への貢献を考慮しデイビスに事実上の永久シード権を与え、世界選手権を含むランキングイベントに今後も(本人が望めば)出場できることになった(他にスティーブン・ヘンドリー、ジェームズ・ワタナにも同様の権利が贈られている)〔。引退後はイギリス各地でスヌーカー選手向けの指導を行う教室を開いており、各地を巡回しながら後進の指導に当たっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スティーブ・デイビス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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