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スティーヴ・ミラー・バンド : ウィキペディア日本語版
スティーヴ・ミラー・バンド

スティーヴ・ミラー・バンド(Steve Miller Band)はアメリカブルース・ロック・バンド。1966年に結成、スティーヴ・ミラーを中心に活動をしている。
== 来歴 ==
サン・フランシスコに辿り着いたスティーヴ・ミラーの呼びかけによりティム・ディヴィス(ドラムス)、ロニー・ターナー(ベースヴォーカル)、ジェイムズ・カーリー・クック(ギター)によってスティーヴ・ミラー・ブルース・バンドとして結成。1967年1月にバディ・ガイの前座でアヴァロンに出演、4月にフィルモアと云ったクラブに出演して人気を評す。6月のモントレー・ポップ・フェスティバルに出演してサンフランシスコのバンドに注目していたレコード業界の注目を受けクイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスとともにキャピトル・レコードと契約。同年秋にインドなどで海外でバックパッカーとして放浪していたボズ・スキャッグスがグループに参加してレコーディングに入る。録音技師のグリン・ジョンズロンドンで録音したスティーヴ・ミラー・バンド名義によるデビュー・アルバム『子供たちの未来』はビルボード・トップ100には入らなかったが、アンダーグラウンド・ラジオで評判を呼び、再びグリン・ジョンズとロスアンジェルスで録音した次作『セイラー』が24位を記録した。マーティン・ルーサー・キングロバート・ケネディが暗殺された後にリリースしたシングル「Living in U.S.A.」が国内でヒットとなる。
1969年、ボズ・スキャッグスがグループを抜けて3人になったバンドはベン・シドランを迎えて3枚目の『ブレイヴ・ニュー・ワールド』を録音する。マスター・テープをグリン・ジョンズのいるロンドンに持ち運んだ日、オリンピック・スタジオでビートルズのメンバーに出会う。ポール・マッカートニージョン・レノンがアルバム「ゲット・バック」のヴォーカルのダビングをしていて、翌日再び訪れた際にポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンとセッションを行う。ハリスンが帰宅した後マッカートニーがドラム、ベース、ヴォーカルを担当した「My Dark Hour」を録音する。1969年にはニッキー・ホプキンスとともに「『ユア・セイヴィング・グレィス』をリリースするほか、後述の1986年のアルバム『Living in the 20th Century』にはポールがゲスト参加するなど、友好関係を築く。
グレイトフル・デッドジミ・ヘンドリックスらとのツアーやレコーディングを繰り返し、1970年のリー・マイケルズやナッシュビルのエリア・コード615、チャーリー・マッコイなど実験的なセッション・レコーディングのアルバム『ナンバー・ファイヴ』をリリースする頃にはミラー以外のメンバーはすべて変わってしまう。スティーヴ・ミラーは1971年に起こした自動車事故により首を痛めてしまい長期間休養に入る。
1972年の後半にスティーヴ・ミラー、ジャック・キング(ドラムス)、ジェラルド・ジョンソン(ベース)、ディッキー・トンプソン(キーボード)で活動を再開しフリートウッド・マックらとツアーを行い、1973年『ジョーカー』をリリースする。アルバムは100万枚を超えるプラチナ・ヒット作となり、ラジオで頻繁にかけられた「Joker」は1974年初頭にシングルでリリースされBillboard Hot 100のナンバー・ワンヒットになり〔Steve Miller Band | Awards | AllMusic 〕、アルバムの制作権はスティーヴ・ミラーに委ねられることになる。
1976年に旧知のロニー・ターナー、ドラマーのゲイリー・マラバーとともにアルバム『Fly Like an Eagle』をリリース。400万枚を超えるプラチナを記録し、シングル・カットされた「フライ・ライク・アン・イーグル」はBillboard Hot 100で2位に達して〔、スティーヴ・ミラー・バンドのキャリアで最盛期を迎える。1978年の『ペガサスの祈り』の頃にはコンサート会場がコロシアムからスタジアムに。しかし、このツアー終了後に一度活動を停止。
その後1982年に『ABRACADABRA』で2度目の最盛期を迎える。1986年にはブルースを交えたアルバム『Living in the 20th Century』を発表するが、バンドのライヴは表立って行わなかった。しかし、1992年6月のグレイトフル・デッドのツアーでタイダイの若い世代に好評となる。
1993年のアルバム『Wide River』以降長い沈黙を守ってきたが、2010年アンディ・ジョーンズとの共同プロデュースアルバム『Bingo!』を実に17年振りに発表。翌2011年にも全曲ブルーズのカバー集『Let Your Hair Down』をリリースしている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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