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ステテコ踊り : ウィキペディア日本語版
ステテコ踊り
ステテコ踊り(ステテコおどり)とは、明治中期に落語家三遊亭圓遊(初代)が始めたもので、噺が終わったあとに高座で見せた踊りである。当時大変な人気を博した。また、類似の芸を見せる芸人が他にも現れ、それぞれに大変な人気を呼んだ。この記事ではそれもあわせて解説する。
== ステテコ踊りの始まり ==
1880年(明治13年)はコレラ流行の余波で寄席の不況にあった。そんな中、初代三遊亭圓朝門下の二ツ目であった三遊亭圓遊が浅草並木亭で始めたのがステテコ踊りであった。一席を終えるとやおら立ち上がり、尻っぱしょりで半股引を見せ、向こうずねを突き出して踊るものであった。それまで座り踊りと決まっていた噺家のこの仕草は、観客を大いに喜ばせた〔橘(2007),p.26〕。
これは彼の完全な創作ではなく、元来は浅草の広小路界隈の物もらいが恵比寿の扮装をして踊って見せたものを幇間都民中というものが真似たもので、これを初代三遊亭圓馬が高座で踊ったのだという〔桂(2006)p.101〕。当時、何とかして売り出そうとしていたた圓遊がこれに目をつけ、更に改良して愉快なものに仕立てたものであった。『向こう横町のお稲荷さんへ、一銭あげて、ざっと拝んでお仙の茶屋へ』などの下座の唄に合わせて、ステテコ、ステテコと囃しながら踊るもので、途中では彼の目立って大きかったをちぎっては投げの仕草で観客の大爆笑を誘ったという〔山元(2006),p.38〕。
代表的な歌詞としては上記の童歌の他、『あんよを叩いてしっかりおやりよ、そんなこっちゃ、なかなか真打ちにゃなれない、ステテコ、ステテコ、ごろにゃんにゃん』などというものがあった〔桂(2006)p.101〕。
また別説では圓朝や圓遊の高座を生で見たことが合い、のちに延長の速記を多く残した若林玵蔵の話によると吉原の喜美太夫が踊った「夜桜」を圓朝が覚えそれを三遊一朝から圓遊に伝わった、これを圓遊が紙屑籠をかぶって踊ったのが始まりだとも言われる。
ちなみに圓遊の鼻は彼の看板扱いで、彼のネタには「客からは『圓遊は鼻のおかげで飯を食い』といわれ」「圓遊は鼻から先に生まれたので、第一番に鼻が娑婆の空気に当たってふやけた」などとやっていた由〔興津編(1972),p.535〕。
なお、半股引のことをステテコと呼ぶのはこの踊りの名が定着してしまったものとされる〔落語日和編集委員会(2014)p.77〕が、異説もある(ステテコを参照)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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