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ステニ川の戦い
ステニ川の戦い()は、1103年にキエフ大公国(キエフ・ルーシ)軍とポロヴェツ族軍との間で行われた戦闘である。総指揮官はキエフ大公スヴャトポルクであり、ルーシ諸公軍の勝利に終わった。ルーシの年代記に記されるステニ川とは、現ウクライナ・ザポリージャ州を流れるモロチナ川に相当する〔С. А. Плетнёва Половцы 〕。 ==前史== 1101年9月15日に、キエフ大公国とポロヴェツ族都は和平条約を締結していた。しかし1103年のドロブスキー諸公会議(ru)において、ルーシ諸公間でのポロヴェツ族への共闘が確認され、ルーシ諸公はポロヴェツ族の支配するステップへの遠征を決めた。ルーシの年代記(レートピシ)には、スヴャトポルクの従士(ドルジーナ)が、春の遠征は農民(スメルド)や農地を壊滅させるものであるという見解を述べたのに対し、ペレヤスラヴリ公ウラジーミルが、ポロヴェツ族の襲撃を座して待つことは死を意味すると述べ、これが遠征の挙行を決定したと記されている。なお、この記述を根拠として、スメルドが騎兵として従事していたこと〔Рыбаков Б. А. Рождение Руси 〕、あるいは都市の連隊(ru)が自身の馬を所有していたことの証拠であると述べる説がある〔Пресняков А. Е. Княжое право в Древней Руси. Лекции по русской истории. Киевская Русь — М.: Наука, 1993〕。
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