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ステパナケルト : ウィキペディア日本語版
ステパナケルト

ステパナケルトアルメニア語:)、またはハンケンディアゼルバイジャン語:)は、国際的にはアゼルバイジャンの領土とされていながら、事実上、同国から独立しているナゴルノ・カラバフ共和国の首都である〔Regions and territories: Nagorno-Karabakh . ''BBC News''. May 13, 2009. Retrieved July 23, 2009.〕。町には5万人程度のアルメニア人が居住しており、他方でアゼルバイジャン人の住民は、ナゴルノ・カラバフ戦争の時に全て町を脱出している。
== 歴史 ==

=== 町の起こりとソビエト連邦時代 ===

中世アルメニアに文献に現れるこの町の最古の呼称はヴァララクン(、「速い川」)であり、1847年ハンケンディに改称されるまでこの名称であった〔 Mkrtchyan, Shahen. ''«Ստեփանակերտ»'' (Stepanakert). Soviet Armenian Encyclopedia. vol. xi. Yerevan, Armenian SSR: Armenian Academy of Sciences, 1985, pp. 124-125.〕。アゼルバイジャンの文献では、この町の起源は18世紀後半にアゼルバイジャン人のカラバフ・ハーンが築いたとしており、「ハンケンディ」(ハーンの村)の呼称はこれに由来するとしている。
現代の町は十月革命の後の1917年に、ハンケンディと呼ばれていたこのアゼルバイジャン領の村に築かれた。1923年バクー出身のアルメニア人共産主義指導者・ステパン・シャウミャンにちなんでステパナケルトと改称され、アゼルバイジャン領のナゴルノ・カラバフ自治州の首都とされた。ソビエト連邦時代、ステパナケルトはこの地域の拠点都市へと発展した。
1926年、ソビエト連邦の当局は著名なアルメニア人の建築家・アレクサンドル・タマニアンによる新しい都市デザインを採用し、その後1930年代1960年代に、タマニアンによる初期の計画に沿う形であわせて2度の拡張計画が認められた〔。1980年代半ばまでステパナケルトは町の経済拠点として機能し、町には19の製造施設があった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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