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ステパニ公()はステパニ公国の君主の称号である(「公」は「クニャージ」からの訳出による)。公位・公国の名は、その中心都市だったステパニによる。公と公国に関する史料はきわめて少なく、不明な点が多い。 ==ステパニ公の一覧== *ロスチスラフ - 在位:1220年代 ::おそらく父称はグレボヴィチ〔Славянская энциклопедия. Киевская Русь — Московия: в 2 т. / Автор-составитель В. В. Богуславский. — Т. 1. — С. 284.〕〔Коган В.М., Домбровский-Шалагин В.И. Князь Рюрик и его потомки: Историко-генеалогический свод. — С. 578.〕〔Рыжов К. Все монархи мира. Россия . — М.: Вече, 1998. ,p533〕とみなされている。一方、ピンスク公ロスチスラフ・スヴャトポルコヴィチと同一人物とみなす説もある。 *グレプ・ロスチスラヴィチ - 在位:? - ? ::上記のロスチスラフの子とみなされているが、アレクサンドロヴィチ(アレクサンドル・グレボヴィチの子)という説もある〔Войтович Л.КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ СХІДНОЇ ЄВРОПИ (кінець IX — початок XVI ст.): склад, суспільна і політична роль — Львів: Інститут українознавства ім. І.Крип’якевича, 2000. 〕。 *イヴァン・グレボヴィチ - 在位:? - 1289年/1290年 ::上記のグレプの子。 *ウラジーミル・イヴァノヴィチ - 在位:1289年/1290年 - ? ::上記のイヴァンの子。『イパーチー年代記(ru)』に、イヴァンが死にその子のウラジーミルが後を継いだことが記されている。 :(この間不明) *セミョーン - 在位:? - 1387年 - ? ::上記のウラジーミルの孫とする説、ナリマンタスの孫とする説〔Нарбут А.Н. Генеалогия Белоруссии. Выпуск 2. — М., 1994. ,С. 79.〕がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ステパニ公」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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