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スティーヴン・リロイ・アッピアー(Stephen Leroy Appia, 1980年12月24日〔 - )は、ガーナ・アクラ出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 == 経歴 == === クラブ === 1995年の15歳の時に地元のアクラ・ハーツ・オブ・オークでキャリアをスタートさせ、翌年11月にガラタサライSKの下部組織のトライアルを受ける〔"FENERBAHÇE'NİN İSTEDİĞİ APPIAH GALATASARAY İLE İDMANLARA ÇIKMIŞ!.." 〕も契約することなく、ハーツ・オブ・オークに戻った。 1997年にセリエAのウディネーゼ・カルチョに移籍。ウディネーゼではFWからMFにコンバートされ、1998年2月11日のACミラン戦でデビューを飾った。1年目は11試合の出場に留まるも大器の片鱗を見せつけ、翌シーズンは21試合に出場機会を増やした。しかし、その次の年に就任したルイジ・デ・カーニオ監督と意見が合わなかったため移籍を模索し、同年夏の移籍市場でパルマFCへ移籍に一旦合意をするもウイルス性肝炎を患い破談となった〔"Appiah restituito all' Udinese" 〕。その後、病を克服し、2000年夏にパルマへと移籍した。 パルマでの2シーズンは、コッパ・イタリアのタイトルを獲得するもレギュラー奪取とはいかず控えの立場だったため、2002-03シーズンにロベルト・バッジョの在籍するブレシア・カルチョへ貸し出された。すると、恵まれた能力を開花させ31試合7得点を挙げ活躍し、その活躍から同リーグの王者ユヴェントスFCから関心を寄せられ、2003年夏の移籍市場で同クラブに移籍金200万ユーロでレンタル移籍することが決定(2004年に移籍金600万ユーロで完全移籍のオプション付き)〔"Ex-Ghana captain Appiah named among Juventus legends" 〕。また、同年ので8位に選出された。 1年目はマルチェロ・リッピ監督の信頼を得てエドガー・ダーヴィッツからスタメンの座を奪い取ると、アレッシオ・タッキナルディと中盤を形成。シーズン終了まで主力としてプレーし、コッパ・イタリア決勝進出に貢献するなど活躍していたが、翌年にファビオ・カペッロ監督に変わるとエメルソン・フェレイラとマヌエレ・ブラージにコンビを組んでいたタッキナルディと共にポジションを奪われ、僅か18試合の出場に留まった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スティーヴン・アッピアー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Stephen Appiah 」があります。 スポンサード リンク
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