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ストラスブール包囲戦[すとらすぶーるほういせん]
ストラスブール包囲戦(独:Belagerung von Straßburg, 仏:Siège de Strasbourg)は、普仏戦争における戦いの一つで、バーデン大公国・ヴュルテンベルク王国とフランス帝国によって行われた戦闘を指す。 プロイセン王国側に立って参戦したバーデン・ヴュルテンベルクによるフランス帝国領ストラスブールへの包囲は成功し、フランス軍守備隊1万7000名が投降した。 ==背景== プロイセン王太子フリードリヒ(のちのフリードリヒ3世)は、プロイセン王国軍・バイエルン王国軍・バーデン大公国軍、ヴュルテンベルク王国軍の4カ国軍を率いていた。フシュヴィレール=ワシュの戦いでフランス軍を打ち破った後、軍を二手に分ける事にしたフリードリヒ3世は、バーデン大公国軍、ヴュルテンベルク王国軍を配下のアウグスト・カール・フォン・ウェーダー将軍に預けた。フリードリヒ3世はウェーダー将軍に両国の兵士を連れて、ストラスブール要塞を攻め落とすように命じた。アルザス地方に築かれたストラスブール要塞は、フランス軍の国境要塞の中でも強固に作られた要塞の一つとして知られていた。 ウェーダー軍は合計4万人程度のバーデン兵とヴュルテンベルク兵で構成され、両国はストラスブールから見てライン川の対岸に位置している。対する難攻不落の要塞都市に立て篭もった1万7000人のフランス守備兵は、68歳のユリシュ将軍の指揮下にあった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ストラスブール包囲戦」の詳細全文を読む
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