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「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」("Strawberry Fields Forever")は、1967年2月にビートルズが発表した14枚目のオリジナル・シングル曲である。両A面シングル曲で片面は「ペニー・レイン」である。ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500では76位。 == 解説 == レノン=マッカートニーの作品。実質的にはレノンの作った楽曲である。リードヴォーカルはジョン・レノン。リヴァプール郊外にある救世軍が運営する戦争孤児院"Strawberry Field"(:英語版該当ページ、こちらは単数形の「フィールド」である)をモチーフにしているが、本人はそれが実在したという記憶は無く、架空の場所とインタヴューで答えていた。ビートルズのサイケデリック期における傑作として評価されている。 この曲は、イギリス盤公式オリジナル・アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の収録曲と同時期に録音されており、「ペニー・レイン」と共に、同アルバムに先行する両A面のシングルレコードとして1967年2月にリリースされた。これら2曲は同アルバムには収録されていないが、同年の米国キャピトル・レコード編集によるアルバム『マジカル・ミステリー・ツアー』には収録された。 既発売の正式テイクは、2コーラス目の冒頭の歌詞、"Let me take you down, 'cause I'm going to"の、"I'm"と"going"の間(CDでは開始からちょうど1分の所である)で、演奏キーの(さらにはテンポも)全く異なる(つまり、音域やコードが平行移動された)2つのテイク(テイク7と26)の録音テープの回転速度を合わせて、絶妙に繋ぎ合わせている。このため、テイク変更後はテンポとピッチ調整の影響でジョンの声が異なって(低く太い声に)聞こえる。こうなった経緯として、ジョンがシンプルな前半部か賑やかな後半部のどちらを取ったらいいか迷った挙句に、ジョージ・マーティンに両方のテイクをつなぎ合わせるように頼んだというものが挙げられる〔ジョージ・マーティン『メイキング・オブ・サージェント・ペパー』 35ページ〕。『ザ・ビートルズ・アンソロジー2』で、繋ぎ合わせる前の前半のテイクのみのスルー・ヴァージョン(通し演奏版)が収録されている。 イントロ部分に当時の最新テクノロジー楽器であるメロトロン(ポールが演奏)も利用されている。レコーディングにはかなりの時間が掛けられているが、作者のジョン本人は、主にアレンジ面で不満があったようで、1980年のインタヴューで、「ヘルプ!」や「アイ・アム・ザ・ウォルラス」と共にもう一度、レコーディングを行いリリースしたいと答えていた。プロデューサーのジョージ・マーティンによると、初めてジョンが目の前で歌ったアコースティック・ギターのみの演奏が最高だったと述懐している〔ジョージ・マーティン『メイキング・オブ・サージェント・ペパー』 24ページ〕〔「『OK、いいじゃないか。もうこれ以上何も弄る必要は無いよ。この感じで演奏してそのまま出せばいいじゃないか?』と、あの時どうして言えなかったのかな。それを今でも後悔することがあるよ」とも語っている。〕。 終盤のジョンの2回の言葉が"I buried Paul"(ポールを埋めた)と聞こえると話題になり、「ポール死亡説」を裏付ける一因とされたが、ジョンによれば"Cranberry Sauce"(クランベリーソース)と言っているだけとのことだった。実際『ザ・ビートルズ・アンソロジー2』収録のこの曲のアウト・テイクでもはっきりと2回"Cranberry Sauce"と言っているのが聴くことができる。 1990年に英ポップ・ダンスバンド、キャンディフリップにより同曲がカヴァーされ、イギリスでスマッシュ・ヒットした。 なおモチーフとなったストロベリー・フィールド孤児院(救世軍子供の家)は、ビートルズ・ファンの訪問が絶えない場所であったが、入居する孤児が減少したことと、孤児のためには孤児院よりも里親制度のほうが好ましいとの運営側の判断から2005年に閉鎖された。建物の存続も心配されたが、その後2006年10月、祈祷や瞑想のための部屋を備えた修道施設として再オープンした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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