|
ストーン・ジョンソン(Stonewall Edward Johnson、1940年4月26日 - 1963年9月8日)は、アメリカ合衆国の元陸上競技選手、アメリカンフットボール選手である。 == 経歴 == ルイジアナ州のグランブリング州立大学に在学中だった1960年に、ローマオリンピックのアメリカ国内最終予選に出場して、200メートル走の準決勝で当時の世界記録に並ぶ20秒5の記録を出した。決勝ではレイ・ノートンに続いて2位となり、オリンピック代表に選出された。 ローマオリンピックでは200メートル走と4×100mリレーに出場した。200メートル走では決勝まで進んで5位となった〔Athletics at the 1960 Roma Summer Games:Men's 200 metres 2010年11月27日閲覧〕。4×100mリレーでは、第3走者を任されて決勝まで勝ち進んだ。アメリカ代表チームは決勝で39秒60(電気計時)の記録を出して1位となったものの、第1走者と第2走者がリレーゾーン外でバトンパスを行ってしまったために失格となった〔Athletics at the 1960 Roma Summer Games:Men's 4 × 100 metres Relay 2010年11月27日閲覧〕。 その他の大会では、1960年に開催されたNCAA競技会の200メートル走で2位に入った実績がある。 1963年、カンザスシティ・チーフス〔カンザスシティ・チーフスは、1960年のチーム発足から1969年のNFLとのリーグ統合までAFLに加盟していた。〕 にランニングバックとして入団した。しかし、同年8月30日に開催されたオークランド・レイダーズとのプレシーズンマッチ中に頚椎を骨折し、9月8日に死去した。ジョンソンはAFLの公式戦に出場することはできなかったが、彼の背番号33番はカンザスシティ・チーフスの永久欠番となった〔Kansas City Chiefs Hall of Fame (インターネットアーカイヴ) 2010年11月27日閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ストーン・ジョンソン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|