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ストーン・テンプル・パイロッツ : ウィキペディア日本語版
ストーン・テンプル・パイロッツ

ストーン・テンプル・パイロッツ (''Stone Temple Pilots'') は、アメリカ合衆国サンディエゴ出身のロックバンド。略称はSTP。1992年のデビューからアルバムが4作連続でミリオンセールスを達成し、オルタナティヴ・ロックバンドとして1990年代に大きな商業的成功を収めた。
== 来歴 ==
;結成からデビュー(1986-1993)
1986年ロングビーチで行われたブラック・フラッグのライヴにて、スコット・ウェイランドとロバート・ディレオが出会う。意気投合した彼らは、スウィング (Swing) なるバンドを結成。程なくして、ロバートの兄・ディーンとエリック・クレッツが加入すると、バンド名をマイティー・ジョー・ヤング (Mighty Joe Young) と改める。地元サンディエゴのクラブ・シーンで徐々にファン層を拡大していくが、シカゴ出身の同名のブルース・ミュージシャンから訴えられたことでバンド名の変更を余儀なくされ、数回の改名を経て、ストーン・テンプル・パイロッツ(STP)を名乗ることになった。また、「スポーツ・チームみたい(動物の複数形)なのはダサいから、意味に繋がりなんて全くない単語の羅列で名付けた」というエピソードもある。
1992年アトランティック・レコードと契約を交わす。同年、プロデューサーにブレンダン・オブライエンを迎えたデビューアルバム『コア (Core)』を発表。全米2位、700万枚以上の売上を記録し、「Sex Type Thing」や「Plush」といったシングルもヒットした。一方、その音楽性が「グランジかぶれ」だとして強い批判も浴びた〔俺たち4人は、本当にすばらしいものを共有しているんだ 〕。
;成功と転落(1994-2002)
1994年には2ndアルバム『パープル (Purple)』を発表。全米1位に輝き、ニルヴァーナパール・ジャムらの二番煎じという声を跳ね返した。しかし、直後にボーカルのウェイランドが薬物不法所持で逮捕。これ以降、ウェイランドは私生活でトラブルを繰り返すようになり、他のバンドメンバーとの間に人間関係の溝が生じることになった。
同じ屋根の下で生活しているにも関わらずウェイランドと他の3人が顔を合わせないという状況でレコーディングが行われ、1996年に3rdアルバム『ヴァチカン (Tiny Music...Songs From The Vatican Gift Shop)』を発表。従来よりメロディを重視する音楽性へ変化し、全米4位を記録する。ところが、ウェイランドが再び薬物で逮捕され1年間の保護観察処分を受けたことでツアーが打ち切られ、売上は伸びなかった。この状況に業を煮やした残りの3人のメンバーは無名のヴォーカリストを加えトーク・ショー (Talk Show) という名義で活動を開始。一方ウェイランドもソロ・アルバム「12 Bar Blues」を発表する。
冷却期間を経て互いの価値を再認識したバンドは関係を修復し〔飛んで火に入る… 〕、1999年に4thアルバム『No 4』を完成させる。発売直前にウェイランドが薬物関連で1年間服役することになったため、ツアーは彼の出所を待って行われた。2001年には5thアルバム『シャングリラ・ディー・ダ (Shangri-La Dee Da)』をリリース。コーン主催のファミリー・ヴァリューズのヘッドライナーとして、リンキン・パークらとツアーを行う。翌2002年にはオズフェストの出演を辞退して新作に取り掛かるが〔ストーン・テンプル・パイロッツ、ニューアルバム制作のためOzzFest 2002を辞退 〕、秋にバンドは突如解散。ウェイランドは元ガンズ・アンド・ローゼズのメンバーと組み、ヴェルヴェット・リヴォルヴァーを始動させた。
;再結成(2008-2013)
2008年2月に再結成が発表され、5月から全米ツアーを開始。2010年5月に6thアルバム『ストーン・テンプル・パイロッツ』をリリースし、全米初登場2位と復活をアピールした。翌月には、バンド初のライヴ映像作品『Alive In The Windy City』を発表した〔ストーン・テンプル・パイロッツ、ライヴDVD/Blu-ray『Alive In The Windy City』を6月発売 〕。
;スコット・ウェイランドの解雇から現在(2013-)
2013年2月、公式サイトにてウェイランドの解雇を発表〔ストーン・テンプル・パイロッツ、スコット・ウェイランドを解雇 〕。5月には、リンキン・パークのチェスター・ベニントンを迎えたことが明らかになり〔リンキン・パークのチェスター、ストーン・テンプル・パイロッツに加入 〕、新曲「Out of Time」も発表された。これに対し、ウェイランドは自分はまだSTPのメンバーであり、バンドの名義は自分にあると主張〔スコット・ウェイランド「俺はまだストーン・テンプル・パイロッツのメンバーだ」 〕。現メンバー側はウェイランドがSTPデビュー20周年のツアーを反故にしたのが解雇の理由であると反論し、バンドの法的権利をめぐって訴訟を提起〔ストーン・テンプル・パイロッツ「訴訟を起こしたのはスコットを傷つけるのが目的じゃない」 〕。ウェイランドも反訴した〔スコット・ウェイランド、自分を追放したストーン・テンプル・パイロッツを反訴 〕。
9月から全米ツアーを開始し、翌10月にはストーン・テンプル・パイロッツ with チェスター・ベニントン名義で新作EP『ハイ・ライズ (High Rise)』を発表するも〔ストーン・テンプル・パイロッツ、ミニ・アルバムをリリース 〕、翌年にはベニントンが脱退(ウェイランドの時とは違い友好的な脱退となった)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ストーン・テンプル・パイロッツ」の詳細全文を読む



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