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スバル1500(SUBARU 1500)は、富士重工業が試作開発した小型自動車。 1954年に最初の試作車が完成。富士重工業最初の乗用車であり、日本で初めてフル・モノコック構造の車体を採用した画期的な存在であった〔『富士重工業技術人間史―スバルを生んだ技術者たち』41ページ〕が、僅かな台数が試作されたに留まり、諸事情から量産・市販されなかった。開発時のコードネームはP-1。 == 概要 == 4ドア6人乗りの小型乗用車。外見的にもスペースを有効活用した3ボックス型のポンツーン・スタイルを用いた近代的デザインを備えていた(1950年発売のフォード・コンサルの影響が強いとされる)〔『富士重工業技術人間史―スバルを生んだ技術者たち』38-39ページ〕が、重要な点として軽量化のために日本の乗用車では初めて、世界でも早い時期のフル・モノコック構造を採用していた。 前輪はウィッシュボーン式独立懸架方式でコイルばね+複動式オイルダンパー支持、後輪は車軸懸架方式で、フリクションの少ない3枚板ばね(リーフスプリング)と複動式オイルダンパーを組み合わせたサスペンションを採用。乗り心地は好評で、ボディ・足回りの耐久性は同時期の他の日本製乗用車より秀でていたという。 駆動系統は、1.5L級の水冷直列4気筒OHVエンジンをフロントに搭載し、プロペラシャフトを介して後輪を駆動する、開発当時における一般的手法が用いられた。 愛称は当初社内募集だったが、「パンサー」「フェニックス」「坂東太郎」など、親しみを持ちにくい外国語案や自動車としては奇異な名称が集まり、全て却下された〔『富士重工業技術人間史―スバルを生んだ技術者たち』64ページ〕。 結局富士重工業初代社長の北謙治が、旧・中島飛行機系企業5社とそれらの合同で成立した富士重工業を昴星(プレアデス星団)の六連星になぞらえ、自ら「スバル」と命名した〔『てんとう虫が走った日』41-42ページ〕。「スバル」の名称を使用した最初の自動車である〔「スバル・1500」の名称にはぶれがあり、文献によってはこの「P-1」のみを平仮名書きの「すばる」と標記しているものがある。スバル・360以降の富士重工4輪車は全て片仮名書きの「スバル」が正式名称となった。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スバル・1500」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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