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スパイク・リー : ウィキペディア日本語版
スパイク・リー

“スパイク”シェルトン・ジャクソン・リー(Shelton Jackson "Spike" Lee, 1957年3月20日 - )は、ジョージア州アトランタ出身の映画監督プロデューサー作家俳優である。発表する作品ごとに社会的・政治的な問題を扱い、論争を巻き起こす事で有名である。現在ニューヨーク大学コロンビア大学ハーバード大学常勤教授として映画について教鞭を執っている他、母校であるモアハウス大学でも時折教壇に立っている。彼が設立した映画制作会社40エーカー・アンド・ア・ミュール・フィルムワークス1983年以来35本の映画を公開している。
== 経歴 ==
ジョージア州アトランタで、ジャズ・ミュージシャンである父ウィリアム・ジェームス・エドワーズ・リー三世、通称ビル・リー教師であると同時に作家でもある母ジャクリーン・シェルトンの間に生まれた。幼い頃に家族でニューヨークブルックリンに転居している。ブルックリンのフォート・グリーン地区は、彼が設立した映画製作会社である40エーカー・アンド・ア・ミュール・フィルムワークスが運営されている場所で、他にリー自身が所有するビジネス、リーに関連するビジネスの多くも同地区を本拠地にしている。リーは幼少期に母親に「スパイク」というあだ名をつけられた。ブルックリンのジョン・デウェイ高校に通った後、最初の作品『ラスト・ハッスル・イン・ブルックリン』を製作した頃には、アトランタのモアハウス大学で学んでいた。彼はクラーク・アトランタ大学でも映画のコースを取り、モアハウス・カレッジでマスコミ学士学位を取得した。その後ニューヨークに戻り、ニューヨーク大学ティッチ・スクール・オブ・アートに入学し、1982年ファインアーツ修士を得て卒業している。
彼が大学院卒業課題のために製作した映画は『ジョーズ・バーバー・ショップ』で、学生が製作した映画として初めてリンカーン・センターでのニュー・ディレクター・ニュー・フィルム・フェスティバルに出品された。この映画は全米の大学生・大学院生を対象にした学生アカデミー賞でも大賞を受賞している。1985年、スパイク・リーは初めての商業映画に挑戦した。『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』は予算16万ドルで製作され公開期間はわずかに2週間という悪条件にもかかわらず、翌1986年に公開された時には700万ドルを超える興行成績を残しスパイク・リーの才能のほどを世間に知らしめた。
『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』の成功が、スパイク・リーのCM監督としての新たなキャリアにつながっていく。『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』を見たスポーツシューズ・メーカーナイキのマーケティング部門が、ナイキのCM撮影を彼に依頼したのである。ナイキは、『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』に登場するマイケル・ジョーダン狂のキャラクター、マーズ・ブラックモン(リー本人が演じた)をエア・ジョーダンのCMでジョーダン本人と共演させようと考えたのだった。
その後、エア・ジョーダンを巡って、暴力事件がインナーシティで多発する事態になると、スパイク・リーは批判の矢面に立たされることになる。リーは、責められるべきはアパレルメーカー側でなく、「インナーシティーの若者がスニーカーとジャケットと金細工のアクセサリーくらいにしか価値を見出せない状況こそが改善されなければならないのだ」と反論している。リーは自身の製作会社の広告制作部門でコンバースジャガータコベルベン・アンド・ジェリーズのCMを制作した。
スパイク・リーの映画は人間や場所を描き出すものである。人種間の関係、現代におけるメディアの役割、都市部の犯罪と貧困、そして政治的な問題を見据える。彼は多くの作品で特徴ある音楽の使い方をしている。彼の父親ビルは著名なジャズ・ベーシストで、スパイク・リーのいくつかの作品で音楽を担当している。例を挙げると、後にスパイク・リーと盟友関係を築く事になるデンゼル・ワシントン主演のジャズ映画『モ'・ベター・ブルース』があり、ビル・リーは終盤の結婚式のシーンで花嫁の父親役として出演もしている。花嫁役のインディゴ・ダウンズ演じるジョイ・リーはビル・リーの娘でありスパイクの実妹である。
1989年、スパイク・リーは自身の監督作『ドゥ・ザ・ライト・シング』でアカデミー脚本賞にノミネートされた。また1997年、ドキュメンタリー映画『''4 Little Girls''』ではアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされた。
2015年、第7回ガバナーズ賞・アカデミー賞名誉賞を受賞。しかし後述の理由のとおり、アカデミー賞授賞式には出席しない意向を示した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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