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スパスク・ダルニー : ウィキペディア日本語版
スパッスク=ダリニー[すぱすく=だりにー]

スパッスク=ダリニー(スパスク=ダリニー、スパッスク=ダーリニー、、)は、ロシア極東部・沿海地方の内陸部にある都市。中露国境のハンカ湖東岸の、ハンカ湖沿岸平野(プリハンカイスカヤ平野)に位置する。周囲は平坦で、150mから220m程度の高さの小高い丘が散在する程度である。市域を貫いてスパッソフカ川とクレショフカ川が流れ、20kmほど北西でハンカ湖に注ぐ。
ウラジオストクからは北へ200km。シベリア鉄道の沿線にあり、ウラジオストクからハバロフスクを経てモスクワに至る列車がスパッスク=ダリニー駅に停車する。モスクワの終着駅までの距離は9,048km。シベリア横断道路の一部をなす、ウラジオストクからハバロフスクを結ぶM60幹線道路「ウスーリ」も通っている。
人口は2002年国勢調査で51,691人。1989年ソ連国勢調査では60,060人であった。2009年には45,402人と減少傾向にある。
== 歴史 ==
ヨーロッパ・ロシアからの入植者がハンカ湖東岸のこの地に入植し、スパッスコエ(「救世主の」を意味する)の集落を築いたのは1885年のことであった。1897年にシベリア鉄道の東端部のウスリー鉄道が開通し、1906年にスパッスコエ近くのイェフゲニェフカに駅が開業すると、駅周辺は周囲の物資の集散地として重要になった。1917年にはスパッスコエは市の地位を与えられ、スパッスクと改名した。革命後のロシア内戦期にはスパッスク周辺は赤軍白軍の激しい戦闘の舞台になった。『野こえ山をこえ』(『プリアムールのパルチザンの歌』、)にもスパッスクの地名が歌われている。
1926年にはスパッスクはイェフゲニェフカを合併し、スパッスク=ダリニーと改名した。地名に、極東にあることを意味する「ダリニー」(「遠方の」)を付けたのは、ソ連国内の他のスパッスク(ペンザ州スパッスクリャザン州スパッスク=リャザンスキーなど)と区別するためであった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「スパッスク=ダリニー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Spassk-Dalny 」があります。



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