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スパダ岬沖海戦 : ウィキペディア日本語版
スパダ岬沖海戦[すぱだみさきおきかいせん]

スパダ岬沖海戦は、第二次世界大戦中の1940年7月19日地中海クレタ島北西で発生した、イギリス海軍およびオーストラリア海軍イタリア海軍との間で戦われた海戦。海戦は最初イタリアの軽巡洋艦2隻とイギリスの駆逐艦3隻との間で始まり、その後オーストラリアの軽巡洋艦とイギリスの駆逐艦各1隻が加わった。戦闘の結果、イタリアの軽巡洋艦1隻が撃沈された。
== 経過 ==

1940年6月17日、ドデカネス諸島レロス島へ向かうよう命令を受けた第2戦隊司令官フェルディナンド・カサルディ (Ferdinando Casardi) 少将〔Contrammirarlio。英訳はrear admiral。但し、注釈ではrear admiral lower half に相当するとの表記あり。〕指揮するイタリア軽巡洋艦バルトロメオ・コレオーニジョバンニ・デレ・バンデ・ネレ(旗艦)がトリポリを出航した。2隻の軽巡洋艦派遣の目的は、エーゲ海を航行中であるとされるイギリスのタンカーの船団を攻撃するためであった。2隻は6月18日にイギリス軍機に発見された。
同日深夜、アレクサンドリアからニコルソン (Nicholson) 大佐が率いるイギリスの駆逐艦ハイペリオン(旗艦)、アイレックスヒーローヘイスティが出撃した。その任務はクレタ島北方での対潜哨戒であった。さらに6月18日4時30分に軽巡洋艦シドニージョン・コリンズ大佐)と駆逐艦ハヴォックがアレクサンドリアから出撃した。この部隊は、ニコルソン大佐の部隊の支援とアテネ湾でのイタリア船攻撃が任務であった。両部隊は、7月18日にクレタ島の東のカソ海峡を通過してエーゲ海に入った。カサルディはこれらの艦艇が活動中であることは知らなかった。
エーゲ海に入ったイギリスの駆逐艦4隻は、クレタ島西のアンティキティラ海峡から出る予定であった。一方、イタリアの軽巡洋艦2隻もアンティキティラ海峡を通過予定であり、両者の通過予定時刻は同じであった。その結果として、7月19日に両者は出会い海戦が発生した。
7月19日の7時17分にイタリア側がイギリスの駆逐艦を発見し、7時22分にイギリス側もイタリアの軽巡洋艦を発見した。7時27分にイタリアの軽巡洋艦が砲撃を開始した。駆逐艦は北東へ向けて逃走し、軽巡洋艦が追跡した。カサルディは敵に接近しようとせず、太陽にある方に向かっての砲撃であったこともあってイタリア側は命中弾を得られなかった。
一方、北のほうにいたシドニーとハヴォックはハイペリオンからの報告を受け南へ向かった。コリンズは駆逐艦の支援を優先すると決めていたため、2隻と戦場との距離はそれほど離れていなかった。
イギリス駆逐艦は煙幕を展開して姿を隠し、イタリア軽巡洋艦は7時48分に砲撃を中止すると東に針路を変えて距離を詰め始めた。8時20分、シドニーの見張りがイタリア軽巡洋艦の煙を発見した。8時29分、シドニーがジョバンニ・デレ・バンデ・ネレに対し砲撃を始めた。イタリア側はもやのため砲撃を受けるまでシドニーには気づかなかった。8時32分、イタリア軽巡洋艦もシドニーに対し砲撃を開始した。なお、イタリア側はシドニーの後ろにいたハヴォックも軽巡洋艦だと誤認していた。8時35分、シドニーの砲弾がジョバンニ・デレ・バンデ・ネレに命中した。
カサルディは、敵艦隊とクレタ島に挟まれて行動の自由を失うのを避けるため8時46分に針路を南西に変えた。それをシドニーと駆逐艦5隻が追撃した。9時21分、シドニーに砲弾が命中した。この被弾で1人が負傷した。9時24分、バルトロメオ・コレオーニにシドニーの砲弾が命中し、バルトロメオ・コレオーニは航行不能となった。さらに命中弾を受けたバルトロメオ・コレオーニは放棄され、ハイペリオンとアイレックスの魚雷で9時59分に沈没した。バルトロメオ・コレオーニの艦長以下121名が死亡し、545名が救助された。
シドニーなどはジョバンニ・デレ・バンデ・ネレをさらに追撃し9時58分には命中弾を与えたが、距離が離れジョバンニ・デレ・バンデ・ネレを視認できなくなったため10時37分に追跡は打ち切られた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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