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スパルタクス : ウィキペディア日本語版
スパルタクス

スパルタクス(、生年不詳 - 紀元前71年)は、共和政ローマ期の剣闘士で、「スパルタクスの反乱」と称される第三次奴隷戦争の指導者。
紀元前73年に仲間の剣闘士とともに南イタリアカプアの剣闘士養成所を脱走してヴェスヴィウス山に立て籠もり、討伐隊を撃退した。近隣の奴隷たちが反乱に加わって数万から十数万人の軍衆に膨れ上がり、紀元前72年には執政官の率いるローマ軍団を数度にわたって打ち破ってイタリア半島を席巻した。紀元前71年になるとクラッススの率いる軍団によってイタリア半島南端部に封じ込められ、クラッススとの決戦に敗れた奴隷反乱軍は全滅し、スパルタクスも戦死した。近現代になると再評価され、カール・マルクスは「古代プロレタリアートの真の代表者」と評した〔土井 1977,p.49;土井 1973,pp.195-196.〕。
== 生涯 ==

=== 出自と人物 ===

1世紀の歴史家プルタルコスはスパルタクスの出自をトラキアの遊牧種族とし、勇気と力があるだけでなく、知恵があり温和な性格で出身民族よりもギリシャ人に似ていたと伝えている〔プルタルコス,p.18.〕。2世紀の歴史家アッピアヌスはトラキアに生まれ、ローマ軍の兵士となるが捕虜となり、剣闘士に売られたと記し〔土井 1994,p.52.〕、同じ2世紀のはやや詳細にトラキア人傭兵から兵士となり、逃亡して盗賊になり、そしてその強さから剣闘士となったと述べている〔。
プルタルコスはスパルタクスの出身を''tū Maidikiū genūs''と記しており従来は「遊牧種族」の意味と捉えられており、碑文や出土品にスパルティコ、スパルトコスといった似た名前の人物がいるロドピ山麓のベッシ族とする説が有力だったが、ドイツの歴史学者が当時のトラキアには遊牧民は存在せず、これはトラキアの部族名のマイドイ族(メディ族:''Maedi'')の意味であると主張して有力になった〔土井 1994,pp.53-55;プルタルコス,p.19.〕。一方で、これを史料の改竄として批判する意見も出されており、歴史学者トドロフはローマの兵士となったとのアッピアヌスの記述を元に当時ローマに頑強に抵抗していたメディ族出身はありえず、同盟関係にあったオデュルサエ族出身説を提起した〔土井 1994,pp.54-55.〕。
19世紀のドイツの歴史家モムゼンボスポラス王国のスパルトキダイ家にスパルタクスと類似した名前が存在することから王族の子孫であるとする説を唱え、ツィーグラーもその資質から指導者階級の出で騎士的伝統を身につけていたと推測した〔土井 1994,p.53;土井 1977,pp.163-164.〕。この説に対してはローマを苦しめた指導者が卑賤な出身であって欲しくないという心情がら出たもので、名前が似ているだけで論証がなにもないとの批判を受けている〔。
ベッシ族出自説を採る研究者はミトリダテス戦争においてポントス王国側の傭兵として参戦し、この過程でローマ側の捕虜となって補助兵として仕えたが逃亡したとしている〔土井 1994,p.62.〕。オデュルサエ族出自説の場合はこの部族がローマとの同盟関係にあったことから補助兵となったことは容易に説明がつき、その後に何らかの理由で逃亡し盗賊(または反ローマ闘争)になったことになる〔土井 1994,pp.62-63.〕。メディ族出自説の場合はメディ族もミトリダテス側だったのでスパルタクスもポントス王国側の傭兵となって戦い、その後の講和の成立によってローマ軍の補助兵となったが逃亡して反ローマ闘争を続け、敗れて捕虜になり剣闘士に売られたことになる〔土井 1994,pp.65-67.〕。
ローマの奴隷となったスパルタクスは南イタリアのカンパニア地方のカプアにあるなる興行師(ラニスタ)が所有する剣闘士養成所に属した。トラキア出身のスパルタクスは幾つかある剣闘士の種類の内のと呼ばれるスタイルの剣闘士だったと推測されるが、彼の剣闘士としての戦歴について古典史料は何も語っていない〔本村 2011,p.153.〕。
スパルタクスの生年についても不明だが、研究者たちはその指導力や行動から反乱を起こした時には35歳から40歳程度であったと推測している〔土井 1994,p.67.〕。一方で、当時の剣闘士は20代前半がほとんどで30代になるまでに木剣拝受者となって引退するか闘技場で死んでいるので、スパルタクスも20代の青年であったとする見方もある〔ウィズダム 2002,p.128.〕。
プルタルコスはスパルタクスと同族の女予言者の話を伝えており、ディオニューソスの秘儀によって霊感を受けた彼女はスパルタクスが偉大な恐るべき勢力となるが、やがては不幸な結末を迎えると予言したという〔。この女予言者は蜂起開始の際にスパルタクスと同じ建物にいて、伴に剣闘士養成所を脱走したと記述されており、現代の研究者の中にはこの女性は実在し、スパルタクスの妻であったと主張する者もいる〔土井 1994,p.290.〕。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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