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ラトレル・スプリーウェル(Latrell Fontaine Sprewell, 1970年9月8日 - )は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州ミルウォーキー出身のバスケットボール選手。NBAのゴールデンステート・ウォリアーズ、ニューヨーク・ニックス、ミネソタ・ティンバーウルブズでプレイした。豪快なダンクシュートを持ちジャンプシュートもうまいシューティングガード。オールスター戦には4度出場。高い運動能力と強気で動じない性格を備え、全盛期にはチームの得点源として活躍したが、1998年に起こした監督への暴行事件がキャリア全般に影を落としている。 == 生い立ちと学生時代 == 3人兄弟の2番目として生まれる。父は母に暴行 (DV) を加えることがあり、両親はスプリーウェルが6歳の時に別れている。それ以降10年近くの間、彼は祖父母のもとで暮らした。 スプリーウェルが高校4年生の時、学校のバスケットボールチームに誘われ(もともとは陸上の長距離選手)、チーム入りのテストを受けた。これに合格したのみならず、間もなくチームの中心選手として活躍しはじめた。 高校卒業後はミズーリ州のスリーリバーズ短大に進み、2年目には26.6得点9.1リバウンドの成績をあげ、チームは短大の全国大会で4強入りした。この活躍が大学の一部リーグの目にとまり、スプリーウェルはアラバマ大学に編入した。4年生の時には平均17.8得点をマークし、1992年のNBAドラフトでゴールデンステート・ウォリアーズに全体24位で指名された。当時は名前の読み方も知られていないほどの無名選手で、スプリーウェルを指名したドン・ネルソンゼネラルマネージャーを疑問視したり、嘲笑う人間が多かった。しかし、すぐに彼らは思い知らされることになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラトレル・スプリーウェル」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Latrell Sprewell 」があります。 スポンサード リンク
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