翻訳と辞書
Words near each other
・ スペーシア日光
・ スペーシズ
・ スペーシング
・ スペース
・ スペース (企業)
・ スペース X
・ スペース ストリート
・ スペース バイオチャージ
・ スペース1999
・ スペースDJリョウ
スペースJ
・ スペースLAN
・ スペースQ
・ スペースX
・ スペースX CRS-1
・ スペースX CRS-2
・ スペースX CRS-3
・ スペースX CRS-4
・ スペースX CRS-5
・ スペースX CRS-6


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

スペースJ : ウィキペディア日本語版
スペースJ[すぺーす じぇい]

スペースJ』(スペース・ジェイ)は、1993年10月13日から1996年9月11日までTBSで毎週水曜日の夜に生放送された報道情報番組である。1994年9月までは、番組タイトルを『情報スペースJ』(じょうほう - )としていた。
==概要・放送時間==
当初は21:00 - 22:54(JST)の114分だったが、1994年4月から放送終了までは21:00 - 22:25の85分に縮小された。
同年10月から「越前屋経済研究所」やスポーツ天気予報など一部コーナーを整理して、タイトルを『スペースJ』に変更。リニューアル当初は、その週に起きた最大のニュースを深く掘り下げる「トップリポート」と本格的ドキュメンタリーの「J特集」の2本立てとコーナー企画とし、「ジャーナリスティック」な側面と「魅せるドキュメンタリー」の要素を併せ持つ番組として高い評価を得た。
1994年6月には自由民主党日本社会党新党さきがけによる「自社さ連立政権」誕生の模様を生中継した。
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災でも優れたルポ(「がんばれ神戸」シリーズなど)を放送し、3度におよぶギャラクシー賞など国内のテレビの賞を受賞する。
また定時レギュラーの報道番組でありながら、一時は視聴率30%超えを記録するなど、報道番組の新しい可能性を示唆した。〔例として、1995年5月3日の放送で32.6%を記録しており、同年の年間視聴率11位の高視聴率であった。(参照 )〕
1994年の松本サリン事件以前からオウム真理教ロシア進出を取材していた。松本サリン事件発生後、事件とオウム真理教との関係や河野義行無実である可能性をいち早く指摘していた〔下村は『ザ・テレビジョン』の連載「オウム事件取材日記」やTBSラジオこちら山中デスクです』などで、1995年1月18日麻原彰晃インタビューする予定であったが、前日に阪神・淡路大震災が発生したためインタビューができなくなってしまい、そのまま地下鉄サリン事件を迎えてしまった、と語っている。〕。
1995年3月に起きた地下鉄サリン事件以降は、オウム真理教に対する追及ルポを徹底的に展開。同番組担当の記者ディレクターを大量に投入し、捜査機関をも凌駕する圧倒的な調査能力と取材力で、スクープを連発する。一時は視聴率が30%を超えるという定時報道番組としては異例の活況となった〔下村はそのことが『「既存メディアを去る」決断の引き金となった』と自身のサイト で語っている。〕。反面その頃から番組全体がオウム報道一辺倒になる。しかし、1996年3月にTBSビデオ問題が発覚。TBSの整理番組の対象となったため、1996年9月11日を以って番組が終了した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「スペースJ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.