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『スペードの女王』(ロシア語:')は、ロシアの作家アレクサンドル・プーシキンの短編小説。1834年に雑誌「読書文庫」に発表され、すぐさま大変な人気を博した。『大尉の娘』とも比せられるプーシキンの代表的な散文作品であり、引き締まった文体とホフマンを思わせる幻想的な雰囲気に満ちた格調高い名作〔神西清「プーシキンと作品」『スペードの女王・ベールキン物語』岩波文庫、1967年 p.288〕。また1830年前後の〔幻想と現実とが交差する都市ペテルブルクを舞台にした「ペテルブルクもの」に連なり〔神西清「短篇6種の発生について」『スペードの女王・ベールキン物語』岩波文庫、1967年 p.247〕、長編小説『未成年』に〔スペードの女王の主人公〕「ゲルマンは巨大な人物だ。異常な、まったくペテルブルグ的な典型だ―ペテルブルグ時代の典型だ」という言葉がでてくるが、ドストエフスキーもこの作品を激賞したことで有名である〔神西 1967年 p.256〕。 その平民出身の主人公ゲルマンは、大金を求めて人知の限りを尽くすが、愛と友情とを知らぬままナポレオンのごとき野望を持てあまし、二つの固着観念のせめぎあいのなかで(ヴィノグラードフ〔クセニヤ 2010年 p.114〕)ついには発狂して全てを失ってしまう。神西清はこの作品にプーシキン自身の内面とも通じ合う「悲劇」を見いだしている〔神西 1967年 p.248〕。 1890年には本作を元にチャイコフスキーがを作曲している。また1916年、1987年には映画化もされた。日本では神西清による訳で知られ、宝塚歌劇団でも2度の舞台化がされている。)は、ロシアの作家アレクサンドル・プーシキンの短編小説。1834年に雑誌「読書文庫」に発表され、すぐさま大変な人気を博した。『大尉の娘』とも比せられるプーシキンの代表的な散文作品であり、引き締まった文体とホフマンを思わせる幻想的な雰囲気に満ちた格調高い名作〔神西清「プーシキンと作品」『スペードの女王・ベールキン物語』岩波文庫、1967年 p.288〕。また1830年前後の〔幻想と現実とが交差する都市ペテルブルクを舞台にした「ペテルブルクもの」に連なり〔神西清「短篇6種の発生について」『スペードの女王・ベールキン物語』岩波文庫、1967年 p.247〕、長編小説『未成年』に〔スペードの女王の主人公〕「ゲルマンは巨大な人物だ。異常な、まったくペテルブルグ的な典型だ―ペテルブルグ時代の典型だ」という言葉がでてくるが、ドストエフスキーもこの作品を激賞したことで有名である〔神西 1967年 p.256〕。 その平民出身の主人公ゲルマンは、大金を求めて人知の限りを尽くすが、愛と友情とを知らぬままナポレオンのごとき野望を持てあまし、二つの固着観念のせめぎあいのなかで(ヴィノグラードフ〔クセニヤ 2010年 p.114〕)ついには発狂して全てを失ってしまう。神西清はこの作品にプーシキン自身の内面とも通じ合う「悲劇」を見いだしている〔神西 1967年 p.248〕。 1890年には本作を元にチャイコフスキーがを作曲している。また1916年、1987年には映画化もされた。日本では神西清による訳で知られ、宝塚歌劇団でも2度の舞台化がされている。 == あらすじ == 工兵士官であるゲルマンは、騎兵士官トムスキイの家で連夜開かれるカルタ勝負を熱心に見守りはするが、決して自分では金を賭けようとはしない。しかしトムスキイに言わせれば、ゲルマンよりも自分の祖母アンナ・フェドトブナ伯爵夫人が賭けをしないことのほうが奇妙なのだという。なんでも伯爵夫人はかつてカルタで散々に負けたのだが、ある人から必勝の手を教わり、失ったはずの大金を取り戻したことがあるのだ。さらに同じように大負けした青年を哀れに思い、その策を授けて勝たせてやったというのである。それを聞いたゲルマンは心を躍らせたが、同時に自分にとっての必勝の手は節度なのだと思い直す。 しかし思索にふけりながら歩き、ふと顔を上げた先は伯爵夫人の屋敷だった。ゲルマンは覚悟を決める。伯爵夫人にいいように使われるみじめな娘リザヴェータをかどわかし、逢い引きの風を装って館に忍び込み、伯爵夫人の寝室に滑り落ちた。ゲルマンは勝つための手を自分にも教えろと迫るが、しかし伯爵夫人は「あれは笑談だった」と言ったぎり無言のままであった。ついにゲルマンは懐から拳銃をとりだして突きつける、と伯爵夫人は恐怖に戦き、そのままこと切れた。 リザヴェータの手引で館を脱出し、その後の伯爵夫人の葬式にも顔を出したゲルマンはある夜にたまさか目を覚ました。誰かが訪ねてきたと気をやる彼の枕元に、あの伯爵夫人が姿を現した。驚くゲルマンに、老女は「三トロイカ」「七セミョルカ」「一トウズ」の順でカルタを張れば勝てると告げたのだった。必勝の策を得たゲルマンは、カルタで大金持ちとなったチェカリンスキイのテーブルについた。「三」に有るだけの金を賭け、ゲルマンは見事に勝ちをおさめた。次の日は「七」に有るだけの金を賭け、やはり鮮やかに勝った。三度目の勝負の日には、噂を聞きつけてたくさんの観衆が集まっていた。 ゲルマンは精神に変調をきたし、ほどなく精神病院に入れられた。何を聞かれても早口で「三トロイカ」「七セミョルカ」「一トウズ」、「三トロイカ」「七セミョルカ」「女王ダーマ」と呟くだけになったのだという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スペードの女王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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