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スポケーン(Spokane)は、アメリカ合衆国ワシントン州東部に位置する中規模商工業都市。スポケーン郡の郡庁所在地である。人口は197,400人(2000年国勢調査)で、シアトルに次ぐ州第2の都市である。市はシアトルの東約450km、ポートランドの北東約600kmに位置する。 もともとの地名はスポケーン・フォールズ(Spokan Falls)といった。市内をコロンビア川の支流であるスポケーン川が流れ、市内にはもとの地名が示す通り、滝がいたるところに見られる。また、市は''Lilac City''(ライラックの街)と呼ばれている。コロンビア台地の東端、ロッキー山脈の西麓に位置するスポケーンは、このような自然の豊かさでよく知られる。また治安も比較的良い。 なお、英語での公式な発音はスポーケーンだが、現地ではよくスポケーンと発音される。日本語ではスポケーンという表記のほかに、スポーケン、スポーカンなどの表記ゆれがある。 都市名の由来は原住民のスポケーン族で、「太陽の子供」を意味する。 == 歴史 == その昔、スポケーン川にはサケが豊富であったことから、この地には土着の人々がよく集まった。やがて1880年、アメリカ合衆国陸軍が現在のスポケーンの北西約90kmの位置にキャンプ・スポケーンを設置した。このキャンプの設置には、ノーザン・パシフィック鉄道をこの地に引くことによってアメリカ合衆国の領土を保障しようという狙いがあった。翌1881年には、そのノーザン・パシフィック鉄道がスポケーンまで開通し、ヨーロッパ人入植者がこの地にやってきた。同年11月29日にはスポケーン・フォールズ(Spokan Falls)という市名で正式な市になった。なお、当時は「スポケーン」の綴りにeはなかった。その翌々年、1883年に市は現在のスポケーンに改称された。 1889年夏には大火が起こり、ダウンタウンは壊滅的な被害を受けた。ポンプ場が技術的な問題を抱えていたため、出火の際に十分な水圧がなかった。ボランティアの消防団が消火を試みたときには、すでに彼らのホースが使い物にならないほどに火が燃え広がっていた。やがて風に乗って火はさらに燃え広がり、最終的にはダウンタウンの27ブロックが燃えてしまった。 このような大惨事があったにも関わらず、スポケーンは成長を続けた。大火から3年後の1892年、グレート・ノーザン鉄道がスポケーンまで開通し、市には同社の操車場が置かれた。現在リバーフロント・パークに建っている時計塔は、当時の駅の建物の一部である。当時はアメリカ合衆国北西部で最も大きな駅であった。当時の駅はスポケーン国際環境博覧会(後述)を開催したときに取り壊され、現在残っているのはこの時計塔のみである。 1974年にはスポーケン国際環境博覧会が開催された。当時、スポケーンは万国博覧会を開いた都市としては史上最小であった(しかしその翌年には沖縄県国頭郡本部町で沖縄国際海洋博覧会が開かれ、その記録はわずか1年余りで破られてしまった)。その名が示す通り環境をテーマにしたこの万国博覧会には日本も参加した。この博覧会を境にスポケーンは100年来の鉄道の町から脱皮し、明確なダウンタウンを持つ商工業都市へと変貌していった。 スポケーン国際環境博覧会で建てられた建物の多くは現在も残り、使用されている。アメリカ合衆国館はIMAXシアターになった。ワシントン州館はINB演技芸術センター(Inland Northwest Bank Performing Arts Center)として使われている。博覧会会場跡は400,000m²の敷地を有するリバーフロント・パークとなり、市民の憩いの場となっている。園内には前述のIMAXシアターや時計塔のほか、ローフ・カルーセル(Looff Carousel)というメリーゴーランドも残っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スポケーン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Spokane, Washington 」があります。 スポンサード リンク
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