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スマラン事件[すまらんじけん]
スマラン事件(スマランじけん)とは、第二次世界大戦直後の1945年10月15日から19日にかけてジャワ島スマランで起きた、旧日本軍とインドネシア独立派の間の武力衝突事件である。日本軍の武器の引き渡しを巡って対立が生じ、インドネシア側に1000〜2000人、日本側にも200人近い死者が出た。インドネシアでは五日間戦争(Pertempuran lima hari)として知られる。 == 背景 ==
=== 日本の敗戦 === オランダ領東インド(蘭印)は、太平洋戦争初期に日本軍が占領した後、日本の統治下にあった。ジャワ島には停戦前の連合国軍の上陸は無かった。インドネシアの独立準備は進められていたものの、実現はしていなかった。 1945年8月に太平洋戦争が日本の敗戦に終わると、蘭印ジャワ島駐屯の日本軍も連合国軍によって武装解除されることになった。イギリス軍を主体とした連合国軍のジャワ島進駐は、9月8日に捕虜救護要員がジャカルタ着、9月15日に4隻のイギリス艦隊が入港、9月25日に先遣隊がジャカルタ上陸と徐々に行われた〔防衛庁防衛研修所戦史室、457-458頁。〕。 連合国軍の占領部隊が到着するまでの治安維持は、8月26日に結ばれたラングーンでの連合国軍東南アジア司令部と日本の南方軍の協定に基づき、日本軍が責任を負うものとされていた。進駐してきた連合国軍の兵力は微弱で、日本軍からの治安任務交代はゆっくりとしか進まなかった。なお、ラングーン協定では、日本軍は連合国軍の少将以上の命令には厳格かつ迅速に従うものとされており、必要に応じて日本軍に治安戦闘を命じる法的根拠とされた〔秦ほか、271-273頁、「東南アジア独立戦争にかりだされた日本軍」(喜多義人担当)。〕。
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