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スマートボーイとは日本のサラブレッド元競走馬・種牡馬である。競走馬としては中央競馬のダート競走で実績を残した。主戦騎手は伊藤直人。以下は旧年齢に従う。 == 経歴 == === 競走馬時代 === 1997年7月12日に小倉競馬場でデビュー。同年8月に3戦めの未勝利戦(ダート1000メートル)をコースレコードを記録して優勝。翌1998年夏にも条件戦を連勝した。1999年2月に管理調教師であった吉永猛が引退したのに伴い、伊藤圭三厩舎へ移籍。同年8月、伊藤はそれまでおもにダートの短距離のレースに出走していた同馬の特性を「中距離の方が持ち味のスピードの持続性が生きる」と判断し、ダート1700メートルのレースに出走させたところ2着馬に0秒7差をつけて逃げ切った。このレース以降、ダート中距離のレースで逃げるスタイルが定着した。 スマートボーイはその後、同年12月と翌2000年1月にダート中距離の条件戦を連勝してオープン入り。オープン特別の仁川ステークスと重賞のマーチステークスで続けて2着となり、単勝1番人気に支持されたアンタレスステークスを勝利して重賞初制覇を達成した。その後のスマートボーイは主戦騎手の伊藤直人が「第3コーナーを過ぎるまではどうなるかまったくわからない」と評する気まぐれな性格と、後続馬にマークされると楽なレース運びができないという逃げ馬の宿命から惨敗と好走を繰り返しながら、9歳まで毎年重賞で勝利を挙げた。伊藤直人が「ベストは逃げること」という通り、勝ったレースはいずれも逃げてのものであり、逃げられなかった場合は新馬戦をのぞけばいずれも着外である。また、5つの重賞勝利はすべて中央競馬のダート1800メートル戦で挙げている。 2004年1月の競走を最後に競走馬を引退し、アサティスの2頭目の後継種牡馬として種牡馬入りをした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スマートボーイ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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