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スモレンスク公()は、スモレンスク公国の君主の称号である(「公」は「クニャージ」からの訳出による)。スモレンスク公国はキエフ大公国の一部を成した公国であり、1404年にリトアニア大公国に併合されるまで存続した。 初代のスモレンスク公は、ウラジーミル1世の末子・スタニスラフだった。1050年代にはヤロスラフ1世の子たちが、1070年代にはヤロスラフ1世の孫のウラジーミル・モノマフが公となった。1125年まで(途中断絶を含む)モノマフの子たちが公を務め、1125年にモノマフの孫のロスチスラフが公となり、以降はリトアニア大公国に併合されるまで、ロスチスラフの子孫が公位を継いだ。 (留意事項) *各人物は、文献によっては「~世」・「~公」等の数えや通称の併記、あるいは洗礼名での表記などにより、異なる表記がなされている可能性がある。 *各人物は、他の称号の元で異なる数えがなされる可能性がある。(例:ウラジーミル・フセヴォロドヴィチはスモレンスク公としては一人目のウラジーミルであるが、キエフ大公としては「ウラジーミル2世」となる。) ==スモレンスク公の一覧== *スタニスラフ・ウラジミロヴィチ(在位:988年頃/1010年頃 - 1015年以前) *ヴャチェスラフ・ヤロスラヴィチ(在位:1054年 - 1056年/1057年) *イーゴリ・ヤロスラヴィチ(在位:1056年/1057年 - 1060年) *ウラジーミル・フセヴォロドヴィチ(在位:1073年 - 1078年) *ムスチスラフ・ウラジミロヴィチ(在位:1093年頃 - 1095年) *イジャスラフ・ウラジミロヴィチ(在位:1095年) *ダヴィド・スヴャトスラヴィチ(在位:1095年 - 1097年) *スヴャトスラフ・ウラジミロヴィチ(在位:1097年? - 1113年):おそらく下記の人物との、共同もしくは交代での統治。 *ヤロポルク・ウラジミロヴィチ(在位:1097年 - 1113年):おそらく上記の人物との、共同もしくは交代での統治。 *ヴャチェスラフ・ウラジミロヴィチ(在位:1113年 - 1125年) スモレンスク・ロスチスラフ家 *ロスチスラフ・ムスチスラヴィチ 在位:1127年 - 1159年) *ロマン・ロスチスラヴィチ(在位:1159年 - 1171年) *ヤロポルク・ロマノヴィチ(在位:1171年 - 1172年) *ロマン・ロスチスラヴィチ(在位:1172年 - 1174年):再任 *ヤロポルク・ロマノヴィチ(在位:1174年 - 1175年):再任 *ムスチスラフ・ロスチスラヴィチ(在位:1175年 - 1176年) *ロマン・ロスチスラヴィチ(在位:1176年 - 1180年):再々任 *ダヴィド・ロスチスラヴィチ(在位:1180年 - 1197年) *ムスチスラフ・ロマノヴィチ(在位:1197年 - 1213年/1214年) *ウラジーミル・リュリコヴィチ(在位:1213年/1214年 - 1219年) *ムスチスラフ・ダヴィドヴィチ(在位:1219年 - 1230年) *ロスチスラフ・ムスチスラヴィチ(在位:1230年 - 1232年) *スヴャトスラフ・ムスチスラヴィチ(在位:1232年 - 1238年/1239年) *フセヴォロド・ムスチスラヴィチ(在位:1238年/1239年 - 1249年) *グレプ・ロスチスラヴィチ(在位:1249年 - 1278年) *ミハイル・ロスチスラヴィチ(在位:1278年 - 1279年) *フョードル・ロスチスラヴィチ(en)(ru)(在位:1279年/1280年 - 1297年) *アレクサンドル・グレボヴィチ(在位:1297年 - 1313年) *イヴァン・アレクサンドロヴィチ(在位:1313年 - 1359年) *スヴャトスラフ・イヴァノヴィチ(在位:1359年 - 1386年) *ユーリー・スヴャトスラヴィチ(en)(ru)(在位:1386年/1387年 - 1392年) *グレプ・スヴャトスラヴィチ(ru)(在位:1392年 - 1395年) *ロマン・ミハイロヴィチ(ru)(在位:1395年 - 1401年) *ユーリー・スヴャトスラヴィチ(在位:1401年 - 1404年):再任 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スモレンスク公」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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