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スモールワールドカップ : ウィキペディア日本語版 | ラ・ペケーニャ・コパ・デル・ムンド
ラ・ペケーニャ・コパ・デル・ムンド()は、かつてベネズエラで開催されていたサッカーの国際大会。南米と欧州のクラブチームが参加したため、スモールワールドカップ()とも呼ばれた。1952年から1957年の間は毎年開催され、1963年にも開催された。1965年にはカラカス市杯()と名称を変え、1975年までほぼ毎年開催された。2005年にはヨーロッパ=アメリカ・トーナメント()と名称を変え、1回限りで開催された。 == 歴史 == 1952年大会は1952年7月12日から7月29日に行なわれ、ベネズエラ・リーグ優勝のラ・セジェ、スペイン・リーグ3位のレアル・マドリード、コロンビア・リーグ優勝のミジョナリオス、リオデジャネイロ州選手権優勝のボタフォゴが出場した。各クラブが2回ずつ対戦し、6試合で勝ち点8(2勝4分)を獲得したレアル・マドリードが優勝した。 1953年大会は1953年2月10日から2月18日に行なわれ、コロンビア・リーグ優勝のミジョナリオス、アルゼンチン・リーグ優勝のリーベル・プレート、オーストリア・リーグ優勝のラピード・ウィーンが出場した。各クラブが3試合または4試合を行ない、3試合で勝ち点5(2勝1分)を獲得したミジョナリオスが優勝した。3得点を挙げたミジョナリオスのアルフレッド・ディ・ステファノが得点王に輝いている。1954年大会にはサンパウロ州選手権優勝のコリンチャンス、イタリア・2部リーグ優勝のローマ、カラカス市選抜(地元枠)、スペイン・リーグ優勝のバルセロナが出場した。各クラブが2回ずつ対戦し、6戦全勝のコリンチャンスが優勝した。1955年大会にはベネズエラ・リーグ優勝のラ・セリェ、スペイン・リーグ5位のバレンシア、ポルトガル・リーグ優勝のベンフィカ、サンパウロ州選手権3位のサンパウロが出場した。各クラブが2回ずつ対戦し、6試合で勝ち点8(3勝2分1敗)を獲得したサンパウロが優勝した。1956年大会にはイタリア・リーグ6位のローマ、スペイン・リーグ3位のレアル・マドリード、ポルトガル・リーグ優勝のポルト、リオデジャネイロ州選手権優勝のヴァスコ・ダ・ガマが出場した。各クラブが2回ずつ対戦し、6試合で勝ち点9(4勝1分1敗)を獲得したレアル・マドリードが優勝した。 1960年代初頭以降には参加クラブの質が低下し、大会の地位も急速に落ちていった〔。
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