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スリーピー・ジョン・エスティス (Sleepy John Estes 1899年1月25日 - 1977年6月5日) は、アメリカ合衆国テネシー州出身のカントリー・ブルースのシンガー、ギタリストである。泣きの声とも称される絞り出すようなヴォーカル・スタイルが特徴。また多くのレコーディングに参加したヤンク・レイチェルのマンドリン、ハミー・ニクソンのハーモニカの音色も、エスティスのサウンド形成に大きく寄与した。 == 来歴 == エスティスの本名はジョン・アダム・エスティスといい、テネシー州リプリーの小作人の家庭に16人兄弟の一人として生まれた。生年には1899年説の他、1904年説もあり〔Musician Biography - Sleepy John Estes Biography 〕、正確なところは不明である。幼少期より畑仕事をしてすごした。 6歳のころ、野球をしていた際に友人の投げた石が目に当たるという事故に見舞われ、右目を失明〔Sleepy John Estes at All About Jazz 〕。もう一方の目にも障害が残る〔〔The Blindman: John Adam "Sleepy John" Estes 〕。 やがて幼いエスティスは音楽に興味を持つようになり、父親よりギターを習う。自分で空き缶などからギターを自作し、人前で演奏するようになっていった〔〔。15歳のとき、家族とともにブラウンズヴィルに移住した。 初レコーディングは、1929年、メンフィスで行われたビクターのセッションだった。このセッションには、既に後の盟友ヤンク・レイチェルが参加している。エスティスは、翌1930年にかけて、数回に渡るレコーディング・セッションを経験し、"Diving Duck Blues" などの作品を生むが、その後暫くレコーディングの機会には恵まれなかった。 しかし1934年エスティスはシカゴへ移住。翌年ハミー・ニクソンとともにデッカ・レコードのセッションに臨んだ。これ以降、頻繁にレコーディングをするようになり、徐々に人気も得るようになった。1937年と1938年には、ニューヨークでのレコーディングも経験している。 その後も活動は続くが、カントリー・ブルースの人気が下火になったのを受け、1941年のブラウンズヴィルでのセッションを最後に、彼は音楽活動から身を引いた。故郷ブラウンズヴィルで再び小作人としての生活に戻ったとされている〔。 1948年にオラネル、1952年にはサン・レコードで単発的なレコーディングをしたものの、活動の再開にはつながらなかった。 1962年、エスティスはカントリー・ブルースの人気が再燃する中で研究者たちによって"再発見"され、再び演奏活動をするようになった。この頃には、彼は以前は見えていた左目の視力も失い、全盲となっていた。彼はニューポート・フォーク・フェスティバルなどに出演し、デルマーク・レコードから新作アルバムも発表した。1964年の''Broke and Hungry''には、デビュー前のマイク・ブルームフィールドが参加している。1964年と1968年には、ヨーロッパ・ツアーも行った。 1970年代に入ってもエスティスの活動は続いた。1972年には、ライ・クーダーのアルバム''Boomer's Story''に参加。"President Kennedy"を歌っている。 日本でもブルース・ブームが起こり、1973年には彼のデルマーク盤''The Legend of Sleepy John Estes''(邦題「スリーピー・ジョン・エスティスの伝説」)がオリコン・アルバム・チャートに食い込むヒットを記録した〔オリコン:スリーピー・ジョン・エスティスのプロフ 〕。 この人気を受け、1974年には「第1回ブルース・フェスティバル」出演のため、ハミー・ニクソンとともに初来日。カントリー・ブルースマンの来日公演は、このときの彼が初めてであった。二人は1976年12月にも再度来日を果たし、「BLUES is A-LIVE JAPAN TOUR 1976」と銘打ったツアーで憂歌団と日本各地で共演した〔''スリーピー・ジョン・エスティス、ハミー・ニクソン with 憂歌団: BLUES is A-LIVE''ライナーノーツ〕。このときの音源はライブLP''BLUES is A-LIVE''としてリリースされ、のちにビデオ化もされている。 エスティスは来日公演の僅か半年後の1977年6月5日、脳梗塞により死去〔On This Date (June 5, 1977) Sleepy John Estes - The Music's Over 〕。テネシー州ダーラムヴィルのエラム・バプティスト教会に埋葬された〔'Sleepy' John Adams Estes (1899 - 1977) - Find A Grave Memorial 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スリーピー・ジョン・エスティス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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