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スロベニア鉄道 : ウィキペディア日本語版
スロベニア鉄道[すろべにあてつどう]

スロベニア鉄道(Slovenske železnice, SŽ)は、スロベニア国鉄であり、ユーゴスラビアの崩壊により、1991年、かつてのユーゴスラビア鉄道(Jugoslovenske železnice)から分割して誕生した。
== 歴史 ==
スロベニアには1840年代、オーストリア帝国によるオーストリア南部鉄道が、首都のウィーンと重要な交易港のトリエステ間を結んだ際、初めて鉄道が接続された。この鉄道により、1844年にマリボルグラーツに結ばれ、この路線が1849年にはリュブリャナまで延長され、さらに1857年には複線の路線がトリエステに達した。
第一次世界大戦までに、他にも多数の鉄道が建設された。1860年、オルモジュからクロアチアチャッコベツに至る路線が開通し、帝国のハンガリー地域と結ばれた。1862年、サヴァ川沿いの路線が開通し、ザグレブまで通じた。1863年、ドラーヴァ川沿いの路線が開通し、クラーゲンフルトフィラッハまで結ばれた。1870年、サヴァ川上流の路線が建設され、イタリアタルヴィージオまで通じた。1873年、帝国のハンガリー地域の最重要港湾であるリエカへ通じた。1906年には、フィラッハからイェセニツェを経て、イゾンツォ川に沿い、2つの6,000メートルを超えるトンネルを介して、トリエステに通じる鉄道(Bohinjska železniška proga , Bohinj Railway)が開通した。第1次世界大戦後に開通した鉄道路線は、1924年開業のオルモジュからリュトメルまでの路線など、数少ない。第二次世界大戦後、1976年、コペルへの路線が開通した。1999年、ムルスカ・ソボタからホドシュまでの1907年開業、1968年廃線の路線が、再度、運行を開始した。これは、1960年代に多く廃線となった路線のうちの1つである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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