翻訳と辞書
Words near each other
・ スヴャトスラフ・フセヴォロドヴィチ (トルブチェフスク公)
・ スヴャトスラフ・フョードロフ
・ スヴャトスラフ・ムスチスラヴィチ
・ スヴャトスラフ・ムスチスラヴィチ (スモレンスク公)
・ スヴャトスラフ・ヤロスラヴィチ
・ スヴャトスラフ・ヤロスラヴィチ (ムーロム公)
・ スヴャトスラフ・リヒテル
・ スヴャトスラフ・ロスチスラヴィチ (ノヴゴロド公)
・ スヴャトスラーウ1世
・ スヴャトポルク1世
スヴャトポルク2世
・ スヴャトポルク・ムスチスラヴィチ
・ スヴャトポルク・ユーリエヴィチ
・ スヴャトポルク=ミルスキー家
・ スヴャトポルチ
・ スヴャトラーナ
・ スヴョークラ
・ スヴラン
・ ス・テ・キの扉
・ ス・ト・リ・ッ・パ・ー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

スヴャトポルク2世 : ウィキペディア日本語版
スヴャトポルク2世[すう゛ゃとぽるく2せい]

スヴャトポルク2世ウクライナ語:''Святополк Ізяславич'';ロシア語:''Святополк Изяславич'';1050年11月8日 - 1113年4月16日)は、リューリク朝ルーシ公爵。洗礼名はミハイール。イジャスラウ1世の子、ヤロスラウ賢公の孫。ポラツクの公(1069年1071年)、ノヴゴロドの公(1078年1088年)、トゥーロフの公(1088年1093年)、キエフ大公1093年1113年)。母はミェシュコ2世の娘ゲルトルダか妾。キプチャクとの戦いに明け暮れた。塩の商売を独占し、金貸しを保護したため、キエフの市民の間で嫌われた。キエフの象徴となった聖ミハイール黄金ドーム大聖堂を建立した。病死して聖ミハイール大聖堂で葬られた。娘ズビスラヴァ(1108年没)はポーランド大公ボレスワフ3世と、プレドスラヴァはハンガリー公アールモシュ(ベーラ2世の父)とそれぞれ結婚した。
==子==

*ヤロスラフ
*スブィスラヴァ
*プレドスラヴァ
*ブリャチスラフ(パーヴェル)〔Корниенко В.В. Молитовний надпис Брячислава Святополковича з Софії Київської // Праці центру пам'ятникознавства. — 2010. — № 18. — С. 211-218.〕
*イジャスラフ
*ムスチスラフ

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「スヴャトポルク2世」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.