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『スーパージャイアンツ』は、1957年 - 1959年に製作公開した日本初の特撮スーパーヒーロー物映画、及び主人公の宇宙人の名称。全9作品で、第7作まで新東宝が製作・配給を行なっていたが、第8作と第9作は富士映画製作、新東宝配給となっている。主演の宇津井健が主人公の宇宙人「スーパージャイアンツ」を通して演じた。 == 解説 == 新東宝の和製スーパーヒーロー映画。1956年から日本で放映開始されたアメリカのテレビシリーズ『スーパーマン』を意識している〔。タイトルは新東宝社長の大蔵貢がファンであった読売ジャイアンツに由来する〔。 本シリーズが始まった1957年は、ソ連が人類史上初めて人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げた年であり、人工衛星や宇宙人のヒーローということが強く意識されている。また、ソ連が人工衛星を打ち上げたのと同じく、当時原爆以上の水素爆弾等の核兵器について各国が研究に力を入れ始めており(ビキニ環礁での核実験等)、原爆被爆国の日本としてスーパージャイアンツは子供向けに微温的ながらも反戦・核兵器廃絶・平和への希求のメッセージが込められた作品でもある。1 - 6作目までは石井輝男が監督している。 6作目までの監督を務めた石井輝男は本シリーズについて、「まあ僕はねえ、無責任ですからね(笑)、話を聞いたときは特別そういうジャンルが好きでもなかったから、自分と同期に新東宝に入った人間が企画を持ってきて技術についても説明してくれて、じゃあやってみようかなと。で、僕としては乱歩の『少年探偵団』的なイメージでやっちゃったんですね。宇宙人と言うよりは、二十面相は変装した“怪人”という感じなんですよ」と語っている。石井としては軽い気持ちで引き受けたところ、作品が大ヒットしてシリーズ化となった。そのうちにスーパージャイアンツの真似をした子供たちが怪我をする事件が起こったりして、「何とか逃げたい」という気持ちになって、6作目まで監督したという〔『宇宙船 vol.98』(朝日ソノラマ)「御本人コメント付 石井輝男映画作品ガイド」〕。 後のエログロ路線の、その実エロスやフリークにより観客自身に現代性を切取らせてしまう石井は「普通に撮るとテレちゃうんですよね」と韜晦しているが〔『石井輝男映画魂』(ワイズ出版)〕、のちの吉田輝雄主演路線につながる「ヒーローの無力さ」を体現した本作をして長部日出雄に「映画の終末点に立つ墓堀人」といわしめたところに、巨匠石井の面目がある。 内容は子供向けであり、主人公(宇宙人)が宇宙服なしの生身の人間を抱えたまま酸素のない宇宙空間を飛行するなど、非常に荒唐無稽な描写が見られる。また主人公と日本の機動隊が怪星人の集団を「UVガス」と称する毒ガス(化学兵器)で殺戮するといった、当時ならではのシーンもある。 頭部部分までが一体の、いわゆる全身タイツでスーパーマンのようなパンツ部分のない「まんま」なタイツ姿が後年TVのバラエティ番組で話題になった〔『ナショナルキッド』(東映)など、本作品以降の日本の特撮ヒーローには『スーパーマン』同様のタイツ姿が多く見られる。〕。『ウラ関根TV』(テレビ東京・テレビ大阪)では、司会者の関根勤によって本シリーズが『妖しい色気と”モッコリ”』とクレジットされて紹介された。関根曰く、「全身タイツで強調された宇津井健のモッコリ(股間)に注目してもらいたい」とのことである。 飛行シーンでは、三色分解方式のカラー撮影用カメラを改造した、対象と移動マスクを同時に撮影できるワンショットカメラの使用により合成のずれが少なく、当時としては高品質な映像となっている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スーパージャイアンツ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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