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ズルワーン教 : ウィキペディア日本語版
ズルワーン教[ずるわーんきょう]

ズルワーン教(ずるわーんきょう)とはゾロアスター教の滅びた分派で、ズルワーンを第一原理たる神(原初の創造者たる神)として奉ずる。ズルヴァーン主義、拝時教、ゾロアスター教ズルワーン派などと呼ばれることもある〔ズルヴァーン主義および拝時教という訳語が見られるのは:青木、2007年〕。
ズルワーン教においては、ズルワーンは無限なる時間(と空間)の神であり、アカ(一つの、唯一の)物質の神である。ズルワーンは互いに相反する、善の神アフラ・マズダと悪の神アンラ・マンユとの親である。ズルワーンは中立的な神とみなされる、というのは、性を持たず(中性で)、感情を持たず、善と悪のどちらにも傾いていない神だからである。ズルワーンは運命や光と闇の神でもある。ズルワーンは「Zurvan」とラテン文字表記されるがこれは標準化された発音を表記したものであって、中世ペルシア語でのこの語の発音をラテン文字表記すれば「Zurvān」、「Zruvān」あるいは「Zarvān」などとなる。中世ペルシア語での名称は「時間」や「老年」を意味するアヴェスター語「zruvan-」に由来する。
ズルワーン教徒あるいはズルヴァーン主義者はアフラ・マズダーあるいはスプンタ・マンユを、ズルワーンの卓越の下で二等分された神の一方だとみなしている。ズルワーン教の中枢的な教義においては、アフラ・マズダは中位の神に、アンラ・マンユは双子の兄弟のうちの堕落した方ということになってしまう。
マズダ主義者はアフラ・マズダを超越的な創造神とみなしていた。彼らの中枢的な教義ではアフラ・マズダが至高神であり、スプンタ・マンユとアンラ・マンユの二柱が双子なのである。
==起源と背景==
ズルワーン教の起源と発展の詳細は未だはっきりしないが(三つの相反する意見が存在するため。以下の勃興と受容の説を参照)、ズルワーン教は大ゾロアスター教の分枝であること〔Boyce 1957:157-304〕、ズルワーン教の教義は聖典に認められる矛盾を解消するための聖職者たちの応答であったこと(以下の「双子の兄弟」の教義の発展を参照)〔Zaehner, 1955, intro〕、その教義はおそらくハカーマニシュ朝期後半に導入されたものであること〔Henning, 1951; loc. Cit. Boyce 1957:157-304〕に関しては広く受け入れられている。
ズルワーン教はサーサーン朝期(226年-651年)には国家の承認を受けたが、10世紀には滅亡していた。サーサーン朝期のズルワーン教は間違いなくヘレニズム哲学から影響を受けていたが、ゾロアスター教のズルワーンが、それ以前のペルシア人の宗教に存在した神を採用したものなのか、それとも異国の時間の神(ギリシアのクロノス)を採用したものなのかは、決定的に確証されてはいない。
ゾロアスター教が西方に到達した最初の痕跡として、ヨーロッパの学者がゾロアスター教は一元論的宗教だと断定している。これは学者たちの間でも、現代のゾロアスター教徒からも異論の多い言明ではあるが、ゾロアスター教の他のどの教派でもなくズルワーン教に対して非ゾロアスター教徒が評価を加えたのはこれが初めてである。
イランのズルワーンはサンスクリット単語の「サルヴァ」()と関係していて、どちらも一元論的な神を記述する上で同様の意味領域を持つ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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