翻訳と辞書
Words near each other
・ ズヴェズダ (模型メーカー)
・ ズヴェズダ2005ペルミ
・ ズヴェズダン・ミシモヴィッチ
・ ズヴェニゴロド
・ ズヴェニゴロド公
・ ズヴェニゴロド公 (ズヴェヌィーホロド)
・ ズヴェニゴロド公国
・ ズヴェニゴロド公国 (ズヴェヌィーホロド)
・ ズヴェニゴロド駅
・ ズヴェニスラヴァ・フセヴォロドヴナ
ズヴェニスラヴァ・ボリソヴナ
・ ズヴェヌィーホロド
・ ズヴェヌィーホロド (リヴィウ州)
・ ズヴェーヴォ
・ ズヴォニミル2世
・ ズヴォニミル・ソルド
・ ズヴォニミール・ソルド
・ ズヴォニミール・ボバン
・ ズヴォニミール・ヴキッチ
・ ズヴォルニク


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ズヴェニスラヴァ・ボリソヴナ : ウィキペディア日本語版
ズヴェニスラヴァ・ボリソヴナ
ズヴェニスラヴァ・ボリソヴナ(もしくはログヴォロドヴナ)(もしくは、1127年以前 - 1173年以降)はポロツク公フセスラフの孫、ボリスあるいはログヴォロド(フセスラフの子として記録のある、ボリスとログヴォロドと同一人物とみなす説がある)の娘にあたる人物である。ポロツク公国修道女で、修道名はエヴプラクシヤ(エフプラクシヤ、エウプラクシヤ())。
==生涯==
ズヴェニスラヴァに関しては、従姉妹の修道女・エヴフロシニヤを記した聖人伝『聖女イェフロシニア伝(ru)』に言及がある。
エヴフロシニヤの影響を受けたズヴェニスラヴァは、エヴフロシニヤの建設したポロツクの救世主修道院(現・救世主聖エヴフロシニヤ修道院(ru))で剃髪式を行い、修道名を得た。その後、1169年ごろにエヴフロシニヤと、その兄弟のダヴィドとともに、エルサレムへ巡礼に向かった。1173年にエヴフロシニヤはエルサレムで没するが、その臨終の際に、エヴフロシニヤの十字架(ru)を故郷・ポロツクに持ち帰ることをズヴェニスラヴァに託した。この十字架は紆余曲折を経て現在は行方不明となっているが、13世紀まではポロツクにあった。また、ズヴェニスラヴァを『聖女イェフロシニア伝』の著者とみなす仮説がある〔Кніга жыцій і хаджэнняў. Уклад. Мельнікаў А. А. Мн., 1994. С. 25-41.〕。
ズヴェニスラヴァの没年は1202年とみなされることが多い。ただし実際は、根拠となっている年代記の1202年の記述は別の人物に関するものであり、ゆえに正確な没年は不明である。いくつかの史料によれば、ズヴェニスラヴァは正教会によって聖列に加えられており、その記憶日は5月24日とされている〔Baumgarten N. Généalogies et mariages occidentaux des Rurikides Russes du X-е au XIII-е siècle /Orientalia Christiana. — Roma. — 1927. — N35.-95p.〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ズヴェニスラヴァ・ボリソヴナ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.