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セオドア・クーパー : ウィキペディア日本語版
セオドア・クーパー
セオドア・クーパー(Theodore Cooper、1839年 - 1919年8月24日)は、アメリカ合衆国土木技術者である。崩壊事故を起こしたケベック橋の設計者として、また鉄道活荷重の定義や日本の鉄道橋の設計者として知られる。
== 来歴 ==
1858年に土木の学位を取得後、クーパーはトロイ・アンド・グリーンフィールド鉄道()とフーサックトンネル(、マサチューセッツ州)のアシスタント・エンジニアに就いた。1861年にはアメリカ海軍に入り、軍人としてのキャリアは10年以上続き、砲艦チョコルア(Chocorua)やニャック()により南太平洋への派兵や海軍兵学校の講師として活躍した。
1872年に海軍を筆頭アシスタント・エンジニアの地位で辞した後、イーズ橋の設計者であるジェームズ・イーズ()によりミッドベール鉄工所の監査官として請われた。同年から1875年まで、橋梁・トンネル技術者としてのイーズを引き継いだ。
クーパーは、ニューヨーク・シティ最初の高架鉄道建設のアシスタント・エンジニアとなり、のちに大統領が選ぶ5人のエンジニアのうちのひとりとして、ハドソン川を渡る橋の設計を託された。クーパーはニューヨーク公共図書館のコンサルティング・エンジニアでもあった。
クーパーの仕事の範囲は広く、メキシコ・ナショナル鉄道()テキサス州ラレド工場から、ペンシルベニア州スクラントンラッカワナ鉄鋼()の溶鉱炉まで及んだ。しかし、もっともクーパーの仕事として有名なのは、橋梁の分野である。
ピッツバーグアレゲニー川にかかるジャンクション橋を設計し(1876年)、ロードアイランド州プロビデンスのシーコンク橋、 ニューヨーク・シティハーレム川にかかるセカンド・アベニュー橋、マサチューセッツ州ニューベリーポート橋などが続いた。唯一現存するのは第三6番通り橋であり、その手すりやランプ、部材等などに仕事が残されている。
1885年から1902年の間、クーパーは鉄道や高速道路の橋梁の設計について重要な役割を果たした。彼の手法は、鉄道用橋梁において軸重の解析を進める結果となった。また、ニューヨークボストンの間を結ぶような高速輸送システムの開発コンサルタントとして活躍した。しかし、この輝かしい経歴は、ケベック橋の崩壊事故に帰結した。クーパーが建設顧問を務めるケベック橋は建設中に崩壊し、75人の作業員が死亡した。
1919年8月24日、クーパーはニューヨークの自宅で肺炎により死去。81歳であった。生涯独身であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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