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セオドア・フォン・ラウエ : ウィキペディア日本語版
セオドア・フォン・ラウエ

セオドア(テオドーア)・ヘルマン・フォン・ラウエ(Theodore Hermann Von Laue, 1916年 - 2000年)は、ドイツおよびアメリカ合衆国(米国)の歴史学者クラーク大学名誉教授。ノーベル賞受賞物理学者であるマックス・フォン・ラウエの息子。
== 経歴 ==
ドイツフランクフルト・アム・マインに生まれる。フライブルク大学に進学したが、ナチス政権下の1937年米国に留学し、プリンストン大学で学ぶ。渡米の理由を「父が私をならず者の国で育てたくなかったからだ」と後年になって回想している。戦時中も米国に留まり、ビスマルク期ドイツの社会立法を研究し、1944年同大学大学院から博士号を取得。
学位取得後はスワースモア大学カリフォルニア大学リバーサイド校ワシントン大学で教鞭をとる。1970年よりクラーク大学のフランシス・アンド・ジェイコブ・ハイアット記念ヨーロッパ史講座教授 (Frances and Jacob Hiatt Professor) に就任し、1982年の退職まで務めた。
初期のレオポルト・フォン・ランケ研究、晩年の世界史研究を始めその研究対象は多岐に渡ったが、特にロシア史について多大な業績を残した。近代化論的な視座から農奴解放令以後のロシア史を研究し、帝政期ソビエト連邦を連続して捉えるアプローチを提示した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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