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セオドア・ロング(Theodore Robert Rufus Long、1947年9月15日 - )は、アメリカ合衆国のプロレス関係者。アラバマ州バーミングハム出身のアフリカ系アメリカ人。 テディ・ロング(Teddy Long)の名義でも知られる。レフェリーやマネージャーを経て、長らくWWEの『スマックダウン』にてストーリー上のGMやシニア・アドバイザーを務めた。 == 来歴 == トミー・リッチ、アブドーラ・ザ・ブッチャーの付き人としてプロレスのキャリアをスタートする。1985年にNWA(ジム・クロケット・プロモーションズ)のスタッフとなり、1987年にレフェリーとしてデビュー。テディ・ロングの名でNWAからWCW時代にかけて悪役レフェリーやヒールのマネージャーとして活躍した。 1999年にWWF(現・WWE)に移籍し、2002年まではレフェリーとして活動。その後RAWに移籍し「黒人の地位向上運動家」のギミックでディーロ・ブラウン、ロドニー・マックなどの黒人選手のマネージャーを務める。以降、クリストファー・ノインスキー、マーク・ヘンリーなどヒールレスラーのマネージャーを歴任した。 その後、マーク・ジンドラックのマネージャーとしてスマックダウンへ移籍。2004年にカート・アングルに代わって同番組のゼネラル・マネージャーとなる(なお、同団体のGMとはストーリー上での役割であり、団体の運営そのものには関わらない)。当初はヒールとして職権を濫用するかに思われていたが、突如ベビーフェイスに転身し、良識あるGMとして番組の規律を守ることに務めた。2007年はクリスタルとの恋愛ストーリーが展開され、スマックダウンにて結婚式を行うまでに至ったが、式はお約束的なハチャメチャなものとなり、自身は心臓発作で倒れるというアングルで長期離脱。復帰してからは、自身の代わりにGMに就任したヴィッキー・ゲレロの補佐役をしぶしぶ引き受けていた。 ヴィッキー・ゲレロがスマックダウンの正式(完全)なGMに就任してからはECWへ移籍、新ゼネラル・マネージャーに就任した。ECWでは新人発掘に力を注ぐGMとして、エヴァン・ボーン、リッキー・オルティズ、ジャック・スワガーらをデビューさせる。その後、スマックダウンとRAW(代行)のGMを兼務していたヴィッキー・ゲレロが正式にRAWのGMに就任したことで、2009年4月からスマックダウンのGMに復帰した(ECWのGMはアシスタントだったティファニーが引き継いだ)。しかし、6月に久々にスマックダウンに登場した会長のビンス・マクマホンにより、(アングル上で)仮採用に格下げされてしまう。 同年9月のブレーキング・ポイントでのCMパンクとジ・アンダーテイカーの世界ヘビー級王座戦で、テイカーの必殺技を禁止し王座奪取を阻止したことにより一時的にブーイングを浴び、10月のブラッギングライツでのRAWとの対抗戦では、チームRAW所属のビッグ・ショーに「チームを裏切ったら世界ヘビー級王座第一挑戦権を与える」と打診するなど、スマックダウンの名誉のためなら手段を選ばない一面も見せた。その後はベビーフェイス寄りのGMに戻り、償いとしてTLCのチェアーマッチではバティスタのテイカーへのローブローを反則行為とし、テイカーの勝利をアシストした。 2012年4月のレッスルマニアXXVIIIにおいて、RAW臨時GMのジョン・ロウリネイティスとのGMの座をかけた試合に敗れ、スマックダウンのGM職を解かれることとなった。同年8月からは新しくスマックダウンのGMに就任したブッカー・Tからシニア・アドバイザー(日本語字幕では上級顧問)に任命される。権力に取り入ろうとするイヴ・トーレスにハメられそうになるなど立場が危うかったものの、イヴが免職された後、自らがGMに取って代わろうとする言動が増えていき、ブッカーとも衝突寸前までいったが、ブッカーが負傷欠場から戻った回のスマックダウンにてヴィッキー・ゲレロが新GMとして選ばれたことで、権力の座から外れてしまう。その後は出演機会も減り、2014年6月、WWEの公式サイトにて退団することが発表された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「セオドア・ロング」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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