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「セクシャルバイオレットNo.1」(セクシャルバイオレットナンバーワン)は、桑名正博の4枚目のシングル。1979年7月21日にRVC(現Ariola Japan)から発売された。 == 解説 == ファニーカンパニーのフロントマンとしてデビューした後にソロ歌手として再デビューした桑名正博の代表曲。1979年にカネボウのキャンペーンCMソングとして起用され、作詞・松本隆、作曲・筒美京平のコンビでA・B面共に制作したシングルがヒットを記録した。 このときのカネボウのキャンペーンCMソング歌手の選出は、沢田研二・松山千春が本命といわれていた中、ディレクターの小杉理宇造の働きかけにより、最終的に桑名に決定された〔富澤一誠『フォーク名曲事典300曲〜「バラが咲いた」から「悪女」まで誕生秘話〜』ヤマハミュージックメディア、2007年、528-529頁。ISBN 978-4-636-82548-0〕。 当時の日本のポピュラー音楽シーンでは、化粧品のCMソングに起用された楽曲はどれもヒットする状況下にあり、本作もそれまでほどのヒットを記録し、オリコンチャートでも3週に渡り1位を記録した。累計売上は60万枚を超える〔。 この曲のヒットによって、桑名はテレビの歌番組にも積極的に出演。TBSテレビ『ザ・ベストテン』では「銀河鉄道999」(ゴダイゴ)の8週連続1位を阻止する形で1位を獲得。ただし、フジテレビ『夜のヒットスタジオ』では、番組提供スポンサーがカネボウの競合他社である資生堂だったため、この曲の披露は一度も無かった。後年も本人が音楽番組で往年のヒット曲として歌唱することが度々あった。 オリコンチャート1位は、本作の前がさだまさしの「関白宣言」、本作の次が同じくさだの「親父の一番長い日」だった〔〔オリコン週間シングルチャート第1位 1979年〕。本作が1位になっている間も、さだの曲は2位をキープ〔。本作はさだの「同一歌手による別作品での連続チャート1位」〔当時シングルチャートでは藤圭子とピンク・レディーしか達成していない記録であった〕を阻止したことになる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「セクシャルバイオレットNo.1」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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