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セバスティアン・ローブ : ウィキペディア日本語版
セバスチャン・ローブ

セバスチャン・ローブ〔日本ではセバスティアン・ローブや、セバスチャン・ロエブと書くメディアもある。〕Sébastien Loeb, 1974年2月26日 - )は、フランスバ=ラン県アグノー出身のラリードライバー。シトロエンのエースとして世界ラリー選手権(WRC)において前人未到の9連覇、通算78勝(勝率51%)という金字塔を打ち建てた。2014年からは世界ツーリングカー選手権(WTCC)に参戦予定である。
== プロフィール ==

=== ラリー ===
少年時代は体操選手を目指していたという異色の経歴の持ち主で、国内選手権で5位になったこともあるが、年齢的にピークとなる時期がオリンピックと合わないので体操競技を断念したと後に語っている。チャンピオンを決めた時など節目節目でバック宙パフォーマンスをみせる。
ラリーデビューは1997年1998年からサクソトロフィーに参加して、1999年にはタイトルを獲得。シトロエン・スポールのギ・フレクランに見出され、2001年にはWRCスーパー1600選手権で5勝してこれを制覇する一方、シトロエン・クサラ WRCでスポット参戦したWRCサンレモでは,トップのジル・パニッツィから11.4秒差の2位を獲得した。
2002年にはクサラWRCを駆って9戦に参戦。開幕戦のモンテカルロでいきなりトップフィニッシュをするが、チームがタイヤ交換禁止のサービスでタイヤを交換したことが発覚。ペナルティを受け2位となり、初優勝は幻となる。それでも、同年のラリー・ドイツでWRC初優勝を飾る。
2003年には、開幕戦モンテカルロで前年の雪辱を果たす優勝を上げ、一躍タイトル争いに加わり、シーズン3勝を上げる。しかし第13戦カタルーニャでは終盤まで首位を守りながら,タイヤ選択のミスで最終ステージに31秒差を逆転され2位に終わる。最終戦ラリーGBではマニファクチャラーズタイトルを優先するチーム事情から限界まで攻められず、ペター・ソルベルグに逆転を許し、1ポイント差でドライバーズチャンピオンを逃した。
2004年にはディディエ・オリオールが持つシーズン最多勝記録タイとなる6勝を上げる一方、安定した走りで着実にポイントを獲得し、ソルベルグ以下を大きく引き離し、自身初となるドライバーズチャンピオンを獲得した。フランス人のWRCチャンピオンはオリオール以来2人目。
2005年は、当シーズン限りでWRCからの一時撤退が明らかにされていたチーム事情からマシン開発の停滞や戦闘力低下が懸念されたものの、シーズンが開幕すると,リピートステージでの走行に重点を置いて開発されたミシュランのニューグラベルタイヤが威力を発揮し、得意のターマックだけでなくグラベルでも他チーム/ドライバーを圧倒。新記録となる6連勝を含め、シーズン最多勝記録を塗り替える10勝を上げ、2年連続のドライバーズチャンピオンに輝いた。地元フランスで行われた第14戦ツール・ド・コルスではWRC史上初めて全てのスペシャル・ステージでトップタイムをマークする「完全優勝」を果たした。
2006年は、シトロエンがワークス活動を休止したが、プライベーターのクロノスチームから引続きクサラで参戦。苦戦を予想されたが、第9戦ドイツでは史上初の同一イベント5連勝を達成し、第11戦日本においてカルロス・サインツの持つ通算勝利記録26を更新する27勝目を達成した。第12戦キプロスで勝利しチャンピオンに王手をかけた2日後、マウンテンバイクを乗車中に転倒し右上腕を骨折。残り4戦の出場を断念し、タイトル防衛が危ぶまれた。しかし、第14戦オーストラリアにおいて、ドライバーズランキング2位のマーカス・グロンホルムが5位に終わったことで2006年シーズンのドライバーズチャンピオンが決定した。この時、ローブは自宅からインターネット中継で「不思議な気分だ」と語った。
2007年は、シトロエンワークスが新型マシンシトロエン・C4 WRCで復帰。第11戦ニュージーランドでは、グロンホルムと最終ステージのスーパーSSまで決着がもつれ込み、0.3秒差で優勝を逃した。グロンホルムの日本・アイルランドでの2戦連続リタイアもあり、最終戦ラリーGBでトミ・マキネン以来史上二人目となる4年連続チャンピオンを獲得した。
2008年も、引き続きシトロエンチームからシトロエン・C4 WRCで出場。フォードミッコ・ヒルボネンと激しいチャンピオン争いを繰り広げたが、全15戦中11勝を記録し、自身の持っていたシーズン最多勝記録を更新。第14戦日本で史上初の5年連続チャンピオンを獲得した。
2009年も、シトロエン・C4 WRCでエントリー。フォードのヒルボネンとのチャンピオン争いは大接戦となり、1ポイントのリードを許して迎えた最終戦ラリーGB、ローブが優勝して逆に1ポイント差をつけて6年連続チャンピオンを獲得した。
2010年も、シトロエン・C4 WRCで参戦。この年は次世代の若手選手の挑戦を受けたが、フォードのヤリ=マティ・ラトバラとシーズン後半のグラベルでチームメイトとなったセバスチャン・オジェを引き離し、地元アルザス地方での初開催となった第11戦フランスで7年連続チャンピオンを達成した。
2011年は、新規定によりシトロエン・DS3 WRCで参戦。この年はフォードのヒルボネンとチームメイトとなったセバスチャン・オジェの急成長により、タイトル争いはさらに接戦となった。アクロポリスでのオジェの優勝によってチーム内の関係が悪化したが、ローブはシトロエン上層部と2年の契約延長を結び、チームの絶対的No.1に返り咲いた。シーズン後半はヒルボネンに8ポイント差まで迫られたが、最終戦ラリーGBでヒルボネンが先にリタイアしたため、8年連続のドライバーズチャンピオンが決定した。
2012年は、チームを去ったオジェに代わって加入したヒルボネンのサポートを受けた。9月27日、パリモーターショーで行われた記者会見の席上で、2013年は引き続きシトロエンチームには留まるものの、モンテカルロなど一部のイベントのみに出場する方針が発表され、事実上WRCの一線から退くことが明らかになった〔ローブ、2013年はスポット参戦 - RALLYPLUS.NET・2012年9月28日〕。第11戦フランスにて9年連続の、自身最後となるドライバーズチャンピオンを獲得した〔"大記録達成! セバスチャン・ローブ、9年連続WRCチャンピオンを獲得! シトロエンも5年連続・通算8回目のマニュファクチャラーズタイトルを決める ". 日本ミシュランタイヤ.(2012年10月10日)2013年12月16日閲覧。〕。
2013年は開幕戦モンテカルロ、第2戦スウェーデン、第5戦アルゼンチン、第11戦フランスのみ出場。フォルクスワーゲンのエースとなったオジェと最後の「セバスチャン対決」を演じ、モンテカルロとアルゼンチンで優勝して、通算勝利回数が78勝に達した。WRC引退の場として選んだ地元フランスでは、最終日に横転事故を起こしてリタイア。生地アグノーでのステージを迎える前の幕切れとなったが、ラリー終了後には偉大な英雄を讃えるセレモニーが行なわれた〔"世界ラリー選手権(WRC)ラリー ド フランス ~セバスチャン・ローブ、輝かしい歴史に幕~ ". シトロエン.(2013年10月7日)2013年12月16日閲覧。〕。
2015年のラリー・モンテカルロにシトロエンからスポット参戦、2年ぶりの復帰を果たす。序盤からトップをキープするが、DAY2 SS8にて左リアをヒットし破損。〔"Citroen team boss Yves Matton is taking plenty of positives from Sebastien Loeb’s performance on the opening two days of Rallye Monte-Carlo. " wrc.com〕SSは完走するも、規定時間内にサービスへ戻ることが出来なかった為、DAYリタイアとなり順位を落とし、スーパーラリーにてDAY3に復帰し走り終え最終的に8位で終えている。〔"Final Results Rallye Monte-Carlo. " wrc.com〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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