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セバスティアーノ・デル・ピオンボ : ウィキペディア日本語版 | セバスティアーノ・デル・ピオンボ
セバスティアーノ・デル・ピオンボ(Sebastiano del Piombo, 1485年頃 ヴェネツィア - 1547年6月21日 ローマ)は、ルネサンス期からマニエリスム期にかけて活動したイタリアの画家。ヴェネツィア派の配色、ローマ派の堂々とした構図で有名である。 ==音楽家から画家に== ピオンボはヴェネツィア派に属するが、活動のほとんどはローマであった。最初は音楽家、主にリュートのソリストとして、ヴェネツィア貴族の中で人気を得た。しかし、ほどなく画家に転じ、ジョヴァンニ・ベリーニ、続いてジョルジョーネの弟子となった。ピオンボの作品にはこの2人の影響がよく出ている。それで、『サロメ』(1510年)など、ピオンボの作品のいくつかがジョルジョーネの作品と間違えられたりした。 ピオンボの最初の絵とされるのは、サン・ジョヴァンニ・クリソストモ教会のための祭壇画で、師匠だったジョルジョーネのスタイルを手本にしたものだった。描かれているのは、2人の女性聖者、3人の男性聖者に向かって、朗朗と説教している聖ヨハネス・クリュソストモスで、手前にはマグダラのマリアもいる。
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