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セミョーン・イリイッチ・ボグダーノフ(、1894年8月17日 - 1960年3月12日)は、ソ連の軍人。装甲戦車兵元帥。ソ連邦英雄(2度)。 ==経歴== ペテルブルクの労働者の家庭に生まれ、組立工として働く。1915年、ロシア帝国軍に召集され、予備連隊の准尉(少尉補)として第一次世界大戦に従軍。 1918年、赤軍に入隊し、中隊長、大隊長を務める。ロシア内戦終結後、連隊、第9機械化旅団を指揮する。1923年、高等軍事教育学校、1936年、機械化・自動車化軍事アカデミー附属学術完全化課程を修了。赤軍大粛清時に逮捕され、1年以上を獄中で過ごした。1941年に釈放され、3月、戦車師団長に任命された。 独ソ戦時、戦車兵担当第10軍副司令官(1942年)、戦車軍団長と機械化軍団長(1942年~1943年)、第2戦車軍司令官(1943年9月~1944年7月、1945年1月~)を歴任した。特に彼の指揮の下で、第2戦車軍は、「親衛」の称号を得た。1942年、全連邦共産党(ボリシェヴィキ)に入党。 1946年~1958年、ソ連最高会議代議員。1948年~1953年、ソビエト軍装甲戦車・機械化兵司令官。1953年~1954年、軍司令官、1954年~1956年、装甲戦車・機械化兵軍事アカデミー校長。1956年5月、退役。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「セミョーン・ボグダーノフ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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