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セルジューク・東ローマ戦争 : ウィキペディア日本語版 | セルジューク・東ローマ戦争[せるじゅーく ひがしろーませんそう]
セルジューク・東ローマ戦争(セルジューク・ひがしローマせんそう)は、セルジューク朝、および後継国家のルーム・セルジューク朝と、東ローマ帝国、およびニカイア帝国との間に起こった戦争である。 マラズギルトの戦いでの東ローマ帝国の大敗後、アナトリアへのテュルク民族の流入が続き、アナトリアのテュルク化が進行した。コムネノス朝とルーム・セルジュークは一進一退の攻防を繰り広げたが、オスマン帝国によってルーム・セルジュークが滅ぼされ、この戦争は終わった。 == セルジュークのアナトリア進出 == 1045年に東ローマ帝国はアルメニアを征服した。これによって東ローマ帝国は、すでにイランを支配下におさめていたセルジューク朝と領土を接することとなり、直接セルジュークの侵攻をうける事になる。東ローマ皇帝コンスタンティノス10世ドゥーカスは経費削減のため、グルジアとアルメニアの兵士からなる防衛隊を解散させてしまった。こうして守備力がなくなったアルメニアは徹底的にセルジューク朝の攻撃を受ける事になり、1064年にアルプ・アルスラーンによってアルメニアは完全に征服された。東ローマ皇帝ロマノス4世ディオゲネスは大勢の傭兵を引き連れてセルジューク討伐に向かったが、マラズギルトの戦いで大敗し捕虜になってしまう。これでアナトリアの防衛も崩壊し、さらに内紛で動揺していた東ローマはアナトリアをセルジュークに占領されてしまった。
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