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セルジ・サルキシャン(、1954年6月30日 - )は、アルメニア共和国の現職大統領。姓はサルグシャンとも表記される。前任の大統領コチャリャンの下で首相を務めた後、2008年2月の選挙で自身が議長(党首)を務める保守系のアルメニア共和党の支持を受けて当選し、同年4月に大統領に就任した〔"Armenia: Sarkisian Sworn In As President" , Radio Free Europe/Radio Liberty, April 9, 2008.〕。 セルジの下で後任の首相を務めた同姓のチグラン・サルキシャンとも、以前に首相であったワスゲン・サルキシャン、アラム・サルキシャン兄弟とも血縁ではない。 == 経歴 == === 初期の経歴 === 1954年6月30日、アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国のナゴルノ・カラバフ自治州で、州都ステパナケルトに生まれた。1971年にエレバン州立大学へ入学したものの、1971年から1972年の間はソ連軍に勤務し、1979年にエレバン州立大学言語学専攻を卒業した。1975年から1979年までエレバンの電気装置工場で旋盤工として働いていた〔Republican party biography of Serzh Sargsyan 〕。1979年にステパナケルト市のコムソモールの委員会課長に就任。その後、第二書記官、第一書記官、ステパナケルト市委員会宣伝・煽動課長、ナゴルノ・カラバフ自治州の共産主義団体の教官を歴任し、最後にナゴルノ・カラバフ自治州の第一書記であったの補佐官を務めた〔。 1989年、ナゴルノ・カラバフ自治州でアルゼバイジャン人とアルメニア人の間に緊張が起こったため、サルキシャンはナゴルノ・カラバフ共和国自衛軍委員会の委員長となり、その後1990年にアルメニア国民議会議員に選出された〔〔。彼はナゴルノ・カラバフ戦争においていくつかの戦闘を組織し、アルメニア軍創設者の一人と考えられている。1993年にはアルメニアの国防相となり、1995年には国家安全保障局長、1996年には安全保障担当大臣となった。その後、1999年にはロベルト・コチャリャン大統領のもとで大統領府長官となり、その後も国家安全保障会議書記や国防相を歴任し、2007年には首相となった〔〔。1999年に発生したワスゲン・サルキシャン首相暗殺事件においては、コチャリャンとともに事件を裏で操っていたとの主張が、政敵によってなされている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「セルジ・サルキシャン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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