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セルマの戦い : ウィキペディア日本語版
セルマの戦い

セルマの戦い(セルマのたたかい、)は、南北戦争の終戦が見えてきた1865年4月2日アラバマ州 セルマで起きた戦闘である。当時のセルマは人口約1万人の町だった〔Samuel Sullivan Cox, ''Three Decades of Federal Legislation, 1855 to 1885'', Mills 1885, p. 402 (Based on testimony of Alabama's Provisional Governor, Lewis E. Parsons). 〕。北軍ジェイムズ・H・ウィルソン少将が指揮する部隊が、南軍ネイサン・ベッドフォード・フォレストが指揮する部隊を破った。
1865年3月22日、ウィルソンは騎兵3個師団、総勢13,500名を率い、テネシー州からアラバマ州に入った所にあるグレイブリースプリングスを出発し、この戦争ではほとんど無傷のまま残されていたアラバマ州南部深くにむけて襲撃に向かった。ウィルソン軍団に対抗したのがフォレスト中将の率いる総勢2,000名の部隊であり、その多くは老人や少年だった。4月1日にはエベネザー教会の戦いで、フォレスト隊と駆けながらの戦闘となり、フォレスト隊がセルマ市に退却し、そこの守備隊と合流した。ウィルソンはセルマに向かいながら、自隊を3隊に分けた。セルマの防御は強固だったが、それを活かせるだけの兵力が無かった。ウィルソンの部隊が幾つかの地点で防御線を突破し、市内の南軍を降伏させた。フォレストやリチャード・テイラー中将を含め士官、兵卒の多くがその降伏の前に市を脱出した。セルマの町はフォレストですら難攻不落と考えていたところだったが、アメリカ連合国に残されていた地域に入って来る容赦しない北軍の圧倒的な動きを止めることはできないことを示すことになった。
== 戦闘に至る背景 ==
当時、セルマは南部の軍需品産業の中心であり、莫大な物資や弾薬を製造し、装甲艦CSS''テネシー''まで建造した。セルマの鉄工所と製鉄所は、バージニア州リッチモンドのトレデガー鉄工所に次いで、南部では2番目の武器生産拠点と見なされていた。このように生産能力が集中する戦略的な位置づけにあったので、南北戦争の後半では北軍によるアラバマ州襲撃の標的になった。
1865年3月30日、ウィルソン将軍がジョン・T・クロクストン将軍の旅団を派遣して、アラバマ州タスカルーサの南軍施設をすべて破壊しようとした。ウィルソンの部隊は南軍の密偵を捕まえ、フォレスト将軍がその分散した部隊の勢力や配置を詳述した文書を運んでいたことが分かった。ウィルソンは1個旅団を送ってセンタービルでカハバ川に架かる橋を破壊させ、それでフォレストの援軍の大半がこの地域に入れないようにした。ウィルソンはフォレストの部隊と走りながらの戦闘を始め、それはセルマの町が陥落した後まで続くことになった。フォレストは中部テネシー方面作戦で敗北した後で、その配下の部隊を再構成するために、ミシシッピ州、アラバマ州、テネシー州に散開させていた。3月下旬の数日間は部隊を統合するために苦闘していたが、そこにウィルソンの騎兵隊が南下してきた〔Trudeau, pp. 11–12, 154.〕。
4月1日は午前中一杯に小競り合いが続いた後の午後、ウィルソンの前衛部隊がエベネザー教会でフォレストの戦列と遭遇した。ランドルフ道路とセルマの幹線道が交差するあたりだった。フォレストは全軍をもってあたればウィルソンの部隊に対抗できると見ていた。しかし、洪水による遅れや、それ以前に敵と遭遇したこともあって、フォレストの下に集まった兵は2,000名足らずであり、その多くは古参兵ではなく、老人と少年で構成された訓練も足りない民兵だった〔Trudeau, pp. 154–156.〕。
勢力も武装も劣った南軍は、北軍の多勢の騎兵や砲兵が戦場に配置される中で、1時間以上も勇敢に戦った。フォレスト自身もサーベルを持った北軍の大尉に傷つけられたが、フォレストはそのレボルバー拳銃で大尉を射殺した。最後は北軍騎兵の突撃で南軍民兵隊が崩壊し、フォレスト隊はその右側面を衝かれた。フォレストは厳しい圧力を受けながらの撤退を強いられた。この戦闘はウィルソン軍の動きを大きく遅らせることも、損傷を与えることもできなかった〔Trudeau, pp. 156–158; Wills, p. 309.〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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