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セルヴァル作戦(セルヴァルさくせん、フランス語:Opération Serval、英語:Operation Serval)は、マリ共和国内のイスラム系武装組織に対し、2013年1月11日より旧宗主国であるフランスが行った軍事行動である。英語読みでサーバル作戦とも呼ばれる。 == 背景 == 2000年代のマリ共和国北部三州(アザワド)には、アンサル・ディーン、AQIMなどのイスラム系武装組織が存在していた。 2012年1月、リビア内戦の後に発生した国境を越えてのアザワド一帯への大量の武器の流入で、トゥアレグ族はアザワド解放民族運動(MNLA)を組織化しマリの中央政府に対して蜂起した〔Mali Besieged by Fighters Fleeing Libya 〕。このような国内情勢であった2012年3月21日にはマリ国内で軍事クーデターが発生し、国内の権力基盤が揺らぐ。4月、アザワド解放民族運動は当初の目的を達成したとして中央政府に対する攻勢を中止しアザワドの独立を宣言する〔Tuareg rebels declare the independence of Azawad, north of Mali 〕。 2012年6月、アザワド制圧後に流入してきたアンサール・アッ=ディーンや西アフリカのタウヒードと聖戦運動(MOJWA)らイスラム原理主義者達は、シャリーアの適用を押し付け始めたためアザワドと対立してゆく〔Islamists seize north Mali town, at least 21 dead in clashes 〕。7月17日までにMOJWAとアンサール・アッ=ディーンはすべての主要都市からMNLAを追い出した〔Jihadists’ Fierce Justice Drives Thousands to Flee Mali 〕。 2012年9月1日、モプティ州ドゥエンツァ(Douentza)を保持していた地元民兵組織ガンダ・イソ(:en:Ganda Iso)がMOJWAに武装解除され町が奪取される〔Mali: des islamistes à la lisière Nord-Sud 〕。そして2012年11月28日にアンサール・アッ=ディーンによってトンブクトゥ州レレー(:fr:Léré (Mali))が奪取され 〔Ban Ki-moon met en garde contre une intervention au Mali 〕、次第にマリ政府の統制力は減少していった。 2012年12月、国際連合の安全保障理事会は、アザワド奪還のため、民軍連携ミッションとしてアフリカ主導マリ国際支援ミッション (AFISMA)を設置し、国連加盟国がAFISMAを介してマリ暫定政府軍を支援することを承認。AFISMAに対し、欧州連合(EU)、アフリカ連合(AU)およびその他の協力国とともに、マリ暫定指導部の自国民を保護する責任を全うするために「必要なあらゆる措置」(武力行使)を認める国連安保理決議を採択した。 2013年1月、これを受けてフランスのフランソワ・オランド仏大統領は、マリのディオンクンダ・トラオレ暫定大統領の要請に基づきフランス軍の派兵を決定。1月11日、マリ暫定政府軍を支援する形で、各武装勢力の拠点に対してミラージュ2000などの航空機により空爆を開始。地上軍も展開。1月14日、国連安全保障理事会の支持の取り付けと西アフリカ諸国経済共同体各国からの支援の獲得に成功している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「セルヴァル作戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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