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セレウキア() またはセレウケイア()は、現在のイラクに位置し、セレウコス1世が基礎を築いたチグリス河畔に位置するセレウコス朝の都市。 バビロンの北約60km、バグダードの南約35km、現在のAl-Madai'in地域に位置する。 セレウコス1世などにより建造され「セレウキア」の名をもった街は9つあるが、ここではセレウコス朝シリアの初期首都であった上記の場所について説明する。なお、9つのうち現存している街は、小アジアの南岸にあるキリキア地方の1箇所だけで、現在ではシリフケ(スィリフケ)と名称が変わっている。この町は新約聖書の使徒行伝に登場する。新改訳聖書ではセルキヤと表記する。 == 歴史 == === セレウコス朝 === セレウキアは紀元前305年頃、セレウコス朝のセレウコス1世ニカトールによって同王朝の最初の首都として、オピス(後のクテシフォン)と言う小さな街の対岸(チグリス川西岸)に建設された。ただし、彼はすぐに北シリアのオロンテス川河畔の都市アンティオキアに首都を移したので、セレウキアが首都であった期間は長くはない。 この都市はユーフラテス川との間に作られた主要な運河とチグリス川の合流点に位置しており、この水路を通じた交通の要衝であった。紀元前3世紀から紀元前2世紀にかけてはエジプトのアレクサンドリアと並ぶヘレニズム文化の中心地であり、アンティオキアよりも発展した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「セレウキア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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